原作の文学的表現をアニメ化する際の苦労と工夫

銀河英雄伝説〈6〉飛翔篇 (創元SF文庫)

銀河英雄伝説〈6〉飛翔篇 (創元SF文庫)

あと、前々から思っていてんだけど、ラノベ独特の「造語」ってアニメになったら意味をあまりなさないんではないのだろうか。例えば、「とある魔術の禁書目録」でいうと「幻想殺し」(イマジンブレイカー)、「必要悪の教会」(ネセサリウス)、「魔女狩りの王」(イノケンティウス)等、文字媒体の時はインパクトのある魅力的な活字なんだけど、映像媒体(アニメ)では活字ではなく言葉として発せられるので、文字媒体の時のインパクトは薄れるのではないのかな。
アニメに向いてないライトノベル作品「とある魔術の禁書目録」 - あしもとに水色宇宙より

 漢字が持つ字面と外来語による語感の融合という手法は小説という文字媒体ならではの手法ではありますが、それをアニメ化して台詞として喋らせようとすると問題が発生します。語感を採れば字義が失われ、字義を採れば語感が失われてしまうのです。
 『とある魔術の禁書目録』は魔術サイドと科学サイドとが主人公の上条当麻を中心に交錯するお話ですが、魔術サイドではキリスト教的な要素がかなりの割合を占めています。キリスト教の言葉というのは漢字化(土着化?)がそれなりに進んでいます。なので、それと『とある魔術の〜』独特の単語とが相まって字義と語感の乖離の問題は他のアニメなどと比べると格段に厄介な問題になっているのでしょう。
 『とある魔術の〜』のアニメでは、語感の重視を優先してカタカナが台詞として喋られて、直後にその用語の意味(字義)を説明するという手法が用いられています*1。なので、それによってインパクトが薄れるというよりは、意味不明で頭の中にまで言葉が入ってこないという現象が起きているのではないかと思われます。
 こうした感想を読んで思い出したのが、田中芳樹銀河英雄伝説』の創元SF文庫版6巻巻末に収録されていた、アニメ『銀河英雄伝説』のプロデューサー・田原正利の解説です。これには『銀河英雄伝説』との出会いから始まって多くの興味深いエピソードが記されています。小説のアニメ化という事象に興味を持っている方には一読の価値があると思いますが、その中に、原作の文学的表現をアニメ化するに際しての苦労と工夫も述べられています。

 もうひとつ例を挙げるなら、アニメの『銀河英雄伝説』の特徴のひとつが大量のテロップだが、これも原作の文学的表現を映像で再現するための小道具のひとつとしての演出のつもりであった。
 例えば小説では「黒色槍騎兵」と書いて「シュワルツランツェンレイター」とルビが振ってある。これは漢字が持つ”字面”(あるいは”字義”)と外来語が持つ”語感”(あるいは”音感”)の双方の良さを両立させておりうまい表現だなと感心させられるのだが、アニメにするときハタと困った。台詞ではどちらを喋ればいいのか? 基本的には”読み”はルビに従うべきだろうが、そうすると漢字表現の”字面”や”字義”が失われてしまう。そこで考えたのがテロップの積極的活用だった。
銀河英雄伝説 6』(田中芳樹/創元SF文庫)巻末所収の田原正利の解説p335〜336より

 というわけで、『銀英伝』のアニメを見たことがある方ならご存知のように大量のテロップが使われています。それも漢字の上にカタカナがルビとして振られているのではなくて、欧文でテロップが出て、その上に”日本語訳”として漢字が添えられる、というやり方です。実写の洋画を意識して採用された手法とのことですが、欧文になることによって語感重視のルビにも存在感が生まれるという、なかなかに良い手法ではないかと思います。
 もっとも雰囲気の問題もありますから、BGMにクラシックが流れているようなアニメと『とある魔術〜』を一緒にするわけにはいきませんし(笑)、実際に『とある魔術〜』でそうした手法が採用されたらどうなったのかは分かりません。ただ、そういう策もあるにはあったんじゃないかなぁ? というようなことを思ったりしました(オチなし)。

*1:私は1話しか視聴していないので、あんまりハッキリしたことはいえないのですが(汗)。