『銀河英雄伝説外伝4 螺旋迷宮』(田中芳樹/創元SF文庫)

銀河英雄伝説外伝4 螺旋迷宮 (創元SF文庫)

銀河英雄伝説外伝4 螺旋迷宮 (創元SF文庫)

「そういう仮説はともかくとして、何十年も経過してから真相をあきらかにできるんでしょうか。生証人が健在ないまのうちでないとだめなのじゃないかなあ」
「いや、そいつはちょっとちがうような気がするんだ。同時代に生きて実際にその事件を見た人より、資料と遺物にたよるしかない後世の人のほうが、しばしば事件の本質を正しく把握できると思う。でなければ、そもそも歴史学の存在する意味がない」
(本書p255〜256より)

 外伝4巻の主人公はヤン・ウェンリーです。”エル・ファシルの英雄”として図らずも有名人となってしまった21歳の彼に与えられた任務は、43年前に戦死した同盟軍の勇将アッシュビーに関わる陰謀の疑惑を調べることでした。
 主人公とはいったものの、本書の主人公を本当にヤンと言ってしまってよいかは微妙な気もします。本編において”矛盾の人”と称されるヤン・ウェンリー。死地にありながらときに眼前の戦闘とは無縁の歴史上の事柄に思いを馳せつつも、それでも他の追随を許さない圧倒的な武勲を立て続けた”不敗の魔術師”。そんな彼が若き日に体験したつかの間の休暇とでもいうべき任務。歴史家を志しながらも軍人として栄達してしまった彼が、若き日に体験した歴史家の卵らしい探偵行。
 ですが、正直言って本書のヤンは特に何もしていません。まあ彼が積極的に動こうとしないのは特に珍しくもありませんが(笑)、手がかりどころか真相に近いと思われる仮説すらもほぼ他人によって与えられるがままです。物語としては実に奇妙な構成です。巻末の解説において石持浅海は本書を「謎解きに姿を借りた、若者の成長物語なのです。」(本書p279より)と評していますが、ちょっと褒めすぎな気がします(笑)。
 だからといって、本書が面白くないのかといえば、そんなことはありません。ヤンの探偵行を通じて語られるブルース・アッシュビーと彼を支えた仲間たちとの複雑な関係。そして、アッシュビーが名将として武勲を立てることができた本当の理由などは、なかなかに考えさせられるものがあります。架空歴史物語の中で登場人物の視点を通して歴史について語るという試みこそが本書の主眼でしょう。
 アッシュビーの死の真相は、銀英伝本編で語ることができなかった戦争のあり方・要素を提示しています。銀英伝は、帝国・同盟・フェザーンという三すくみの勢力関係を背景として物語が始まります。ですが、実際にはラインハルトとヤンの2人を軸とした分かりやすい対立の構図があります。そして、互いに宿敵に対して敬意を払っていたからこそ、そこには知らず知らずのうちに対抗手段を考える上で制約が働いていたかもしれません。ヤンの探偵行によって明かされるアッシュビーの真実は、これまで作られたアッシュビーのイメージを覆すものであることには違いないのですが、作中でヤンも述べている通り、それはアッシュビーの天才性を否定するものではありません。
 ヤンがアッシュビーのこうしたエピソードを知っていたということは、理屈としては帝国、あるいはラインハルトと対峙する場合にも同様の手を使うことを考えたとしてもおかしくはなかったはずです。実際に実行に移すか否かは別にして、ですが。それを彼が行なわなかったのは、ラインハルト相手にそうした策に実効性があるとは思えないという実際的な理由はもちろんですが、フェアでありたいという気持ちもあったと思います。それは、ラインハルトに対して、だけではなくて、おそらくは歴史に対して、ということではないでしょうか。
 ヤン自身も自覚しながらも迷わずにはいられない思考の螺旋迷宮。迷宮は迷うからこそです。迷えない迷宮など面白くもなんともありません。もっとも、出口がない迷宮が迷宮といえるのかどうかは疑問ですが(笑)、迷うことにこそ意義があるのだとすれば、出口の存在など些細なことかもしれませんね。
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