『銀河英雄伝説6 飛翔篇』(田中芳樹/創元SF文庫)

銀河英雄伝説〈6〉飛翔篇 (創元SF文庫)

銀河英雄伝説〈6〉飛翔篇 (創元SF文庫)

 本シリーズは架空歴史小説と呼ばれることが多いです。後世の歴史家の視点による語り・視点によって本書の物語が記述されていることが大きな要素だと思いますが、もう一つの要素として、作中において物語を支える架空の歴史が語られていることも忘れるわけにはいきません。
 そこで語られている歴史は、”歴史小説”ではありません。筒井康隆『虚人たち』小林恭二『ゼウスガーデン衰亡史』などと同じく虚構ではありますが小説とは異なるまさに”歴史”です。本巻の場合ですと、「序章 地球衰亡の記録」がそれに該当します。本章で語られているのは、地球統一政府による宇宙進出から銀河連邦が誕生するまでにおける地球衰亡の歴史です。
 架空歴史物語の背景として語られる架空の歴史。『銀河英雄伝説』は宇宙空間での戦闘が当たり前のように行なわれる遙か未来の時代を想定して描かれている物語ですが、その中間項に架空の歴史が介在することによって、読者は現代から銀英伝の時代へと繋がりを持つことができます。それによって、物語を身近なものに感じることができます。
 また、遠景としての歴史を描くことによって、近景として語られている本筋の歴史物語をぐっと立ち上がらせる効果もあります。いわば、小説における遠近法とでもいうべき技法ですが、これによって物語にとてつもない重厚感が生まれます。それによって単なる英雄譚を超える読み応えが得られているのだと思います。
 同盟という最大の難敵に勝利したことによって、ラインハルトと帝国には目立った敵が存在しなくなったかのように思えます。そこで新たな脅威として登場するのが地球教徒です。現実世界における冷戦の終結後のテロとの戦いを想起せずにはいられない展開です。そもそも銀河連邦からルドルフ・ゴールデンバウムによる独裁政権、さらにはラインハルトに簒奪されることとなったゴールデンバウム王朝の誕生といった流れも、遠い未来の社会にもなってそんな逆行なんてあり得ないだろうと思います。思うのですが、現在のロシアにおけるプーチン大統領への権力の集中過程を見ていると、あながちないともいい切れません。パターンこそ永遠の真理なんだ(p138)とはオリビエ・ポプランの弁ですが、歴史は繰り返すものなんだなぁと思ってしまいます。架空歴史小説から実際の歴史へのフィードバックというのも妙な話ですが(笑)、それくらい、本シリーズが歴史というものの普遍的な部分を上手く取り込んでいることの表れだといえるでしょう。
 ヤン・ウェンリーは同盟の(というよりは民主主義国家)の再興のために様々な策略を頭の中で練り上げますが、政略・謀略よりも重要なものとして理念の存在をまず第一に挙げています。しかし、その一方で彼は信念を口にする人間を毛嫌いしています(p115など)。矛盾こそが彼の本質であり魅力でもあります。
 信念・理念・思想といったものと並んで、歴史を語る上で欠かせない要素が宗教です。本シリーズでは地球教団という架空の団体を用意することで、歴史における宗教、宗教と国家、宗教と個人の関係といったものが語られます。元来、宗教には有意義な側面もあるはずですが、地球教団はその成り立ちからして同情の余地のない酷い存在なので、これを前提に宗教を語られちゃうのは勘弁して欲しいと思う方もいらっしゃるかもしれません。ただ、宗教について真面目に考え出すと物語の方向性が変わっちゃうので、これくらいのデフォルメはご甘受していただきたく思います(笑)。思想でも宗教でも構いませんが、それは何のため、そして誰のためでしょう?

 専制君主の善政というものは、人間の政治意識にとってもっとも甘美な麻薬ではないだろうか、と、ヤンは思う。参加もせず、発言もせず、思考することすらなく、政治が正しく運営され、人々が平和と繁栄を楽しめるとすれば、誰がめんどうな政治に参加するだろう。
(本書p114より)

 宗教もまた人間の政治意識にとって麻薬となり得る存在です。だからこそ、多くの国家において憲法政教分離の原則が定められているわけですが、それはさておき、こうした観点から民主主義を標榜しているからこそ、ヤンの内面において矛盾が解消されることはないのだと思います。考えることを忘れないこと、捨てないこと。そこに民主主義の価値を見出しているのでしょう。だからこそヤン・ウェンリーは戦うことになります。例えそれが状況に流された結果だったとしても(笑)。
 5巻ではラインハルト対ヤンの直接対決というど派手な艦隊戦がメインでしたが、本巻では打って変わって地上戦がメインとなります。メリハリが利いた展開に次巻への期待が否応なく高まります。戦記ものとして押さえるべきところはしっかりと押さえられていて、とても巧みだと思います。
 ちなみに、本巻の解説はアニメ版『銀河英雄伝説』のプロデューサーである田原正利が書いています。銀英伝のアニメ化のキッカケから始まり、『ヤマト』→『ガンダム』の延長線としての銀英伝、忠実なアニメ化を心がけつつも独自に変更点を加えた理由、銀河声優伝説になった経緯、これまでのアニメではタブーとされていたことへの挑戦と工夫などなど。『うる星やつら』の50枚組LDの成功がアニメ版銀英伝の企画成立につながった、とか、作中でクラシック曲を使うことに決めたのはいいけどそしたら『ボレロ』の著作権が切れてなくて(戦時加算による)焦った、といったエピソードが個人的にツボでした。
 これまでの解説もそれなりに面白かったですが、本書の解説は特に資料的価値が高いと思うので、そうした方面に興味のある方は是非。
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