「感想」って難しい

 映画『スカイ・クロラ』感想、苦労しました。本来でしたらプチ書評のようになんらかの考察を加えて書いたほうが楽だったのですが、今回は思い切って「感想」として記事にしてみました。
 アイヨシも以前記事にしましたが、客観的に考察を加える「書評」よりも自身のそのままの感情を書く「感想」の方が難しいと思います。
 なぜかというと、
・観た(読んだ)ときの環境で感想が変わる
・他人が共感するとは限らない
・感情の理由を言語化しづらい
 などに起因するからだと考えます。
 もちろん、「書評」も感情なしで記載することは不可能に近いですが、考察を加えるなど行いできるだけ感情的な表現を排除することが出来ます。
 つまり、「書評」であれば書いた本人にとってある程度普遍的な内容になりますが(当然、読み込みによって記事の内容はブラッシュアップしていきますが)、「感想」は観た(読んだ)環境が変われば同じ書き手でも内容が全く異なる可能性があるのです。
 感想というのは、例えば「面白かった」「つまらなかった」「泣けた」「泣けなかった」「笑えた」「笑えなかった」などなどの内容でしょうが、好きな異性にフラれた後でコメディを読んでも心の底から笑えないでしょうし、楽しいことがあった後に読んだら同じ本でもより楽しめるでしょう。
 つまり、「読んだ(観た、聴いた)シチュエーションを記載する」ことで「感想」を読み手により「理解(not共感)」してもらうことが出来るのではないかと思いました。酒飲みながら友人と話すのと、自分のことを知らない不特定多数の「赤の他人」に見せるのとでは、同じ「感想」でも当然ながら受ける印象は違うと思いますし。
 感想で「万難を排して1人で観た」と書いたのはそのためです。これはフジモリだけかもしれませんが、誰かと一緒に観た場合「どう感じたかなぁ」と気になって純粋に楽しめないこともあります。一緒に連れてきた人はどう思っているかなぁ、はたまた周りの人はどう思ってるだろう、と気にした時点で自身の感想の軸がぶれるような気がしてしまうんですよね。
 weblogという形式ですと、普段日記として使われる場合が多く、実は「感想」とは相性が良いです。普段の日記に本人のスペックが記載されますし、本を読んだ、映画を観たなどのシチェーションが付記されます。読者はその付加情報により書き手の環境を推測し、感想の理解を深める、場合によっては「共感」することができます。
 一方で当サイトは管理人たちの個人情報をなるべく記載していないようにしていますので、今回の「感想」では「言葉だけが先行しないよう」ある程度細心の注意を払ったつもりです。まあ、「普段の書評とどう違うの?」と言われたら「筆力不足で申し訳ありません」と頭を下げるしかありませんが(笑)。
 いやー、感想って本当に難しいですね。