『小説家という職業』(森博嗣/集英社新書)

小説家という職業 (集英社新書)

小説家という職業 (集英社新書)

 小説の存在理由は、「言葉だけで簡単に片づけられない」ことを、「言葉を尽くして」表現するという矛盾にあり、その矛盾に対する苦悩の痕跡にある。
(本書p118より)

 もしあなたが小説家になりたかったら、小説など読むな。という過激にしてシンプルなキャッチコピーはさすが森博嗣だと思いますが(笑)、本書はそんな森博嗣が自身の経験・体験を踏まえた上で、「ビジネスとして小説を書く」ということを書いた本です。
 本書は、小説の書き方が書かれた本、いわゆるノウハウ本ではありません。本当に小説家になりたいと思うのならそんなノウハウ本なんか読んでるのは時間の無駄、というのが本書の主張です。「とにかく書く」「これを仕事にするんだ」という姿勢・決意さえあればノウハウなどほとんど無用というのが本書のスタンスです。それは確かにそのとおりでしょう。それができれば苦労はない、とは思いますが、それができないようであれば小説家になろうなどと思わないほうがいい、ということなのでしょう。
 森博嗣はビジネスとしてお金を稼ぐために、もっというとアルバイト感覚で小説を書き始めています。そうした小説家は他にもいるのでしょうが、一方でそうではなくて、とにかく書きたいという衝動が先にあって、そこから小説家になりたい、あるいはなったという方も相当数いるんじゃないかと思うのです。ノウハウ本ではないだけに、そういう方が本書を読めばそれなりに有益ではないかと思います。
 また、作者は、これまでも自身の小説に関してのスタンス、あるいは小説家としてのスタンスを述べてきましたが、本書はそうした森語録が一冊にまとめられた本としても位置づけることができます。なので、森博嗣ファンにとって大変に利便性の高い本だといえるでしょう。もっとも、森博嗣が本書の読者として一番の念頭に置いているのは、実は編集者・出版社の人間じゃないかと思ってます。「第3章 出出版界の問題と将来」と「第4章 創作というビジネスの展望」などはまさにそうだと思います。
 以下、書評ブロガーとして触れといたほうがいいかなぁ、と思う点についていくつか。
 第2章「謎を散りばめる」p75以下について。ネットには「ネタばれ」が横行している、とありますが、これはどうでしょうね? いや、そのあとに「書評とか感想といいながら、実はあらすじを書いている人や、文章の一部を長々と引用している人が非常に多い。」(本書p76より)とありますので、いわゆるトリックやプロットといった仕掛けについてのネタばれよりも広い意味でネタばれという言葉が使われているのかもしれませんが、そんなにネタばれしているサイトやブログって、今はあまりないと思っているのは私だけでしょうかね? ブログ全盛になって書評も感想も全体的に薄味になったよなぁ、と思っているくらいなのですが。それに、最近だとみんなツイッター読書メーターに流れていっちゃうし……。
 同じく第2章「貶した書評の効能」p84以下について。貶してある書評のほうが面白い、とあるのですが、当ブログでは基本的に褒めてばかりでサーセン(笑)。いや、確かに感情的な文章を書くにはそれなりの熱意とエネルギーが必要で、そんなの滅多に湧いてこないというのが正直なところです。なので、つまらない本を読んだ場合はブログで取り上げることなくスルーするのがほとんどです。
 第4章「小説にテーマは要らない」p140以下について。当ブログ、というより私自身に限定して言えば、私は本を読んでテーマを読み解くのが大好きです。そしてミステリの場合にはそれが比較的やりやすいです。で、本書では「小説にはテーマなんて必要ない」(本書p142)と書かれていますが、両者のスタンスは特に矛盾するものではありません。テーマのない小説から勝手にテーマを読み取って感動することこそが「読者の能力」(本書p16参照)といえます(←開き直り)。本を閉じたあとも頭や心の中に何かが残って欲しいなぁ、というのが本音です。まあ、読んでるときが楽しくないと読み続けられないのは確かですけど、そうでなくてもついつい読んでしまうのがミステリいうジャンルが持っている「謎」の魔力なわけですが。
 最後に将棋ファン的補足を。

将棋指しになるには試験があるらしい。40歳では入門するのも不可能だと聞いた。
(本書p29より)

とあります。昔は確かにそうでしたが、2006年に編入制度が制定された結果、難関ではありますが、将棋が強ければプロの将棋指しになることは可能ですのであしからず。