『とある飛空士への夜想曲』(犬村小六/ガガガ文庫)

とある飛空士への夜想曲 上 (ガガガ文庫)

とある飛空士への夜想曲 上 (ガガガ文庫)

とある飛空士への夜想曲 下 (ガガガ文庫)

とある飛空士への夜想曲 下 (ガガガ文庫)

――これではまるで、恋わずらいだ。
千々石はそう自重して、苦い笑いを噛みつぶした。
――お前に会いたい、海猫。
願う理由は恋わずらいでも友情でもない。
――この手でお前を叩き墜とすために。
 幾百回もこころに刻みつけてきたその決意を、この夜も改めて、深くおのれへと彫りつけた。

(本書上巻p161より)

 思うに、歌と飛空士とは、ともに風に乗って儚く消えていく存在という点で近しいものなのでしょう。それが両者の相性が良い理由なのだと思います。
 時系列としては、シリーズ既刊の『追憶』と『恋歌』の間に位置する作品です。ゆえに、刊行順に読んでる読者にとっては、千々石の運命そのものは既知です。ゆえに、迎えざるを得ない結末に向かって描かれる軌跡と奇蹟が物語の眼目です。すなわち、本書で描かれている”夜想曲”は極めて人工的なものです。本書のヒロインの芸名が美空(みく)なのも、おそらくはそうした点を意識した意図的なものだと思われます。
 予定された結末へと向かっていく物語でありながら、決してご都合主義なものではありません。それは、ひとつにはそもそも戦争というものが個人に対しご都合主義を押し付けるものであることが挙げられるでしょう。個人の自由とか権利とかいったものが徹底的に無視され蹂躙される戦争という状況において、軍隊という組織に属する軍人、ひいては国民は、上からのいかなる命令にも従わなければなりません。そうした全体主義に比べれば、ご都合主義などどこ吹く風です。
 また、そうした時代に生きる千々石自身の人生観も、飛空士としての人生を手に入れその能力を高めていくうちに、自然と余分なものが削ぎ落とされてシンプルなものとなっていきます。そのシンプルさが、物語からも紆余曲折を自然と排除します。
 最低の時代であったとしても、その時代に生きた人々が最低だったとは限りません。歴史も人間も内実は複雑でその見方は多面的です。百人百様の捉え方があるでしょう。ともすれば、本書は戦争を美化してるように読めてしまえなくもないのですが、一方で本書は作中に予防線を何回か張ることでそうした危惧に対応しています。どこまでも全体主義が優先する戦争にあって、なお個人のロマンが優先される空戦の最前線という舞台は、いわば戦争の上澄みです。端々に描かれている澱を見逃すわけにはいきません。その端々の象徴として、もう少しユキの存在が、特に後半に大きく描かれてもよかったように思います。そこが少し残念ではあります。でも、千々石武夫の物語としては、そんな残念さ、もしくは身勝手さというものも欠かせないものではあります。
 結局、本書は飛空士の物語です。白熱のドッグファイト。圧倒的に不利な状況下において絶望と敗北を意識しながらも、それでも希望を抱いて飛び続ける飛空士たちの生き様。そして、ついには戦略と戦術とが逆転していく圧倒的なまでのカタルシスは読み応え十分です。『追憶』だけでも十分に完成してますが、本書はそのあとに続く作品として蛇足なものとはなっていません。シリーズ既読の方にもオススメです。
【関連】
『とある飛空士への追憶』(犬村小六/ガガガ文庫) - 三軒茶屋 別館
『とある飛空士への恋歌』(犬村小六/ガガガ文庫) - 三軒茶屋 別館
『とある飛空士への恋歌 2』(犬村小六/ガガガ文庫) - 三軒茶屋 別館
『とある飛空士への恋歌 3』(犬村小六/ガガガ文庫) - 三軒茶屋 別館
『とある飛空士への恋歌 4』(犬村小六/ガガガ文庫) - 三軒茶屋 別館
『とある飛空士への恋歌 5』(犬村小六/ガガガ文庫) - 三軒茶屋 別館