『嘘つきは姫君のはじまり―東宮の求婚』(松田志乃ぶ/コバルト文庫)

(怖がらず、自分に嘘をつかず、奇妙なこの運命に決して押し流されてしまわぬように……。わたしの恋が、そのまま、わたしの未来になる)
(本書p103より)

 ヴァン・ダインの二十則には、「不必要なラブロマンスを付け加えて知的な物語の展開を混乱させてはいけない。ミステリーの課題は、あくまで犯人を正義の庭に引き出す事であり、恋に悩む男女を結婚の祭壇に導くことではない。」という項目があります(参考:ヴァン・ダインの二十則 - Wikipedia)。確かに、理詰めのミステリのなかに、理屈では説明のつかないラブロマンスが付け加えられてしまいますと、ときに物語が混乱してしまう場合があります。にもかかわらず、程度の差こそ様々なれど、ミステリのなかでラブロマンスが、あるいはラブロマンスのなかでミステリが、といった物語はいくつも描かれています。
 そうしますと、両者の相性が悪いとは到底思えなくて、むしろ相性が良いというべきだとすら思います。それは何故かと考えますと、ミステリは過去に何があったかを解き明かす物語であるのに対し、ラブロマンスは未来を描く物語であって、だからこそ、両者を描くことによって過去と未来とを描くことができるからではないかと思ったりします。
 ミステリ成分は薄めになってきてはおりますが、前巻の強烈な引きであった扇の脅迫文について、策士たちが生き生きと推理を巡らす場面は読んでて楽しかったです。大姫の過去にいったい何があったのかも本巻で明かされます。瞳術使いとしてトリックスターの立場を確固たるものにした斎による裏付けというのは少々安直かなとは思いますが、愛憎が入り組んだ真実が比較的シンプルに解き明かされているとはいえます。また、大姫が宮中に上がったことによって東宮の妃の座を巡る争いに端を発する権力闘争もついに表立って動き始めます。しかし、それは決して読み口の悪いものではありません。
 それらの出来事が、ついに宮子に対し自らの恋について結論を出すことを求めてきます。本巻は「鞭編」でありながら実際には半分しか鞭を入れられなかったとのことですが、鞭には、「飴と鞭」の文脈での厳しく、という意味であるとともに、未来に足を踏み出すようお尻を叩く鞭という意味合いもあるのだと思います。自らの気持ちを自覚した上で、貫くべきは嘘か真実か。でも真実っていったい……?
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