「試練」と「爽快感」 『バクマン。』15巻書評
- 作者: 小畑健,大場つぐみ
- 出版社/メーカー: 集英社
- 発売日: 2011/10/04
- メディア: コミック
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物語の縦糸である「サイコーとシュージンのサクセスストーリー」に様々なキャラクタの「横糸」を絡め、読者をあきさせない展開を続ける手腕は、まさに『DEATH NOTE』で鍛えられた二人ならではだと思います。
本来であればサイコー・シュージンがジャンプに連載した作品は3作品だけですし、実際作中でも人気は打ち切りほど人気が低くないけど上が詰まっている「踊り場」状態。それでいてここまで長期間連載を引っ張れるのは、二人に降りかかる「試練」が効果的にまぶされているからだといえるでしょう。
と、軽く伏線を張っておいて、15巻の書評に入ります。
vs七峰戦、決着。
前巻で登場した、「不特定多数のブレインを味方につける」七峰システムをひっさげジャンプに鳴り物入りで殴りこんだ七峰透。
●七峰という『タッチ』の吉田ポジション。 『バクマン。』14巻書評
結果は、ブレインを束ねきれずに空中分解することとなり、サイコー・シュージンに一蹴される結果となります。
*2
作中でシュージンが言っているとおり、システム自体はよく出来ているのですが、「ブレインを束ねる」というのはマンガを描く才能とは別な才能を要します。ぶっちゃけ言うと、50人のブレインを束ね成果を出せる手腕があればベンチャー企業の1社や2社起業できると思います。そういう意味では、「人間的に問題があるからこそ構築できた」七峰システムが「人間的に大きくないとシステムを維持できない」というしっぺ返しになったことはなんとも皮肉が利いています。
「策士策におぼれる」ではないですが、「近代設備による科学トレーニングを駆使した強豪校」はスポ根マンガでは絶対勝てないのと同様に、スポ根マンガのメソッドによって描かれている『バクマン。』では、「七峰システム」も敗れるべくして敗れたのだと思います。
新たな試練
vs七峰戦も決着、そして七峰によって召喚された中井も紆余曲折ののち平丸のアシスタントとして再び物語に復帰します。
そんななか、新たな試練が勃発します。
*3
亜城木夢叶『PCP -完全犯罪党-』を模し、現実に事件が発生します。
「漫画読み」の方々であれば、なにか事件があるたびに「マンガ」「ゲーム」が槍玉に上がってきたという歴史を苦々しい想いとともに抱いていると思います。もちろんフジモリもその一人です。
「マンガやゲームの影響って、親のお前らはマンガやゲームに負けるぐらい影響力が無いんかっ!!」
と、ことあるたびに怒りが沸いている読者にとって、まさに描かれるべくして描かれた「試練」。
「犯罪」を題材とする『PCP』を模して犯罪を行なうことで、当然ながら『PCP』は世間からの注目を浴びます。
大場つぐみ・小畑健自体も『DEATH NOTE』で模倣犯にあっているだけあり、このあたりの描写は真に迫るものがあります。
日本の人気漫画『デスノート』(中国名・死亡筆記)の海賊版グッズが中国の子どもの間に広まっているが、当局は同書を"有害図書"に指定し、取り締まりを強化している。
北京の地元紙によると、4月初めから6月中旬までの「全国"掃黄打非"」(ポルノと不法出版物の一掃)キャンペーンで、『デスノート』の不法出版物は5912冊、DVDなどの映像商品が1364枚、印刷物が572点、その他ホラー系の出版物1万1930冊が撤去された。摘発キャンペーンはなおも継続される予定だという。
(『デスノート』取り締まりを強化 東方書店HPより)
2007年9月28日、ベルギーのブリュッセル市内で起こった男性と推定される遺体が放置された事件ではWATASHI WA KIRA DESS(私はキラです)とローマ字のように書かれたメモが、切断された死体の一部と共に発見されている。
この「KIRA」はDEATH NOTEの登場人物の一人、キラのことを指すのではないか、およびこの事件は、同漫画に触発された猟奇殺人事件ではないかと見て、地元警察では調べを進めている。また、地面に漢字、記号のようにも見える痕跡が発見されたことが報じられている。
この事件は同じく「キラ」と呼ばれる『ジョジョの奇妙な冒険』に登場する猟奇殺人犯の吉良吉影(自身の能力で人間を爆殺する)ではないかという説もあった。
事件から3年後の2010年9月25日にデスノートファンの男が逮捕された。
(wikipoediaより)
そして、ちょうどこのエピソードが連載される数ヶ月前に、東京都による「漫画規制」とも言える都条例が可決されました。
漫画と規制
漫画という表現物は過去に何度も「規制」という敵と戦ってきました。
都条例に対するフジモリの意見は以前描きましたのでこちらをご参照いただきたいのですが、
●絶望した!フィクションに現実の法律を持ち込む東京都に絶望した! - 三軒茶屋 別館
●「規制」を「法」が行うということ - 三軒茶屋 別館
●こんなときだからこそ『図書館戦争』を再読してみる - 三軒茶屋 別館
少なくとも、「子供への影響」と「規制」というキーワードはワンセットで使われる常套手段です。
そして「描き手」は、「読み手」以上にこの「規制」に対して敏感であり、また「鈍感にならざるを得ない」のです。
「本当はここまで書きたい、でもここまで書いたらあの団体やこの団体が目をつけるのではないか。だとすれば逃げ道としてここまでは書かずにその手前で止めておくほうが安全だ。それがね、物語の筋レベルのことではないのですよ。一場面の一つの文章で、単語を一つ加えるか加えないかのレベルでの保身になるのです」
(有川浩『図書館革命』P90)
もっとも、個人的にはあの条例に大した意味があるとは思っていない……あんな規制は発令されるまでもなく、とっくの昔から表現の制限は始まっていて、僕が作家として生きてきた十年の間にも、一年目に使えていた表現が、十年目では使えなくなったりしているからだ。……もしも本当に『表現の自由』のために戦うというのならば、戦う相手を必ずしも政治家や官僚だけではないということを、クリエイターは知るべきである。とは言え、表現の自由をはき違えたクリエイターほど、お寒いものはないが……。
(西尾維新『少女不十分』P183)
この「規制」という当時のトレンドを作品内にうまく取り入れるテクニックは、お見事だと思います。
まさに「時事ネタ」を「試練」として物語に組み込んでいるのです。
作品を模する愉快犯の登場により、シュージンの原作に大きな影響が出ました。
*4
本人に対し直接的な攻撃が無くとも、やはり創造の剣先は鈍ってしまうものです。
どちらかというと「子供の教育によくない」ダークさ、邪道さ、エグさが売りの一つであった『PCP』でしたので、読者人気も下がっていきます。
そんなシュージンの復活を信じ、待つサイコー。こういった描写は、二人が数々の修羅場を超えお互いを信頼しあっているところが感じられます。
そしてシュージンの出した答えが、「模倣犯を題材にしたエピソード」を描くこと。
*5
「創作することで反論する」という、ある意味落ち着くところに落ち着いた「王道」展開は『バクマン。』らしいと言えます。
七峰という「敵」の出現のあとは「規制」という「試練」を描く。こういう、「敵」→「倒す」→「敵」→「倒す」というルーチンはバトル漫画に近いものがありますが、この「敵」(ないし試練)が一辺倒で無いぶん単なるバトル漫画と異なる部分なのかな、などと思ったりしました。
15巻では一つの戦いの決着と、新たな戦いについて描かれました。
同じ「戦い」でありながら、一方は「同じ漫画家でありながら異なる考え方を持つ”敵”との戦い」、もう一方は「規制という”外圧”とそれに伴うアイデアの枯渇という”内的な”戦い」と対照的でした。
いやぁまぁどんだけ「試練」があるんだと感心してしまいますが、「試練」があるからこそ、その「試練」に「勝つ」ときに読者もスカっとするのだろうと思います。
そういう意味では、「漫画家マンガ」でありながら「スポ根漫画」「バトル漫画」のような「爽快感」があるからこそ、『バクマン。』というマンガがこれだけ長期に続けられているのかなぁ、などと思ったりしました。*6
さてさて、次はどんな「試練」が、そして「戦い」が描かれるのでしょうか。次巻も楽しみにしたいと思います。
●『バクマン。』と『DEATH NOTE』を比較して語る物語の「テンポ」と「密度」 『バクマン。』1巻書評
●『バクマン。』と『まんが道』と『タッチ』と。 『バクマン。』2巻書評
●『バクマン。』が描く現代の「天才」 『バクマン。』3巻書評
●編集者という「コーチ」と、現代の「コーチング」 『バクマン。』4巻書評
●漫画家で「在る」ということ。 『バクマン。』5巻書評
●病という「試練」。『バクマン』6巻書評
●嵐の予兆。『バクマン』7巻書評
●キャラクター漫画における「2周目」 『バクマン。』8巻書評
●「ギャグマンガ家」の苦悩 『バクマン。』9巻書評
●「集大成」への道のり 『バクマン。』10巻書評
●第一部、完。 『バクマン。』11巻書評
●「創造」と「表現」 『バクマン。』12巻書評
●スポーツ漫画のメソッドで描くことの限界について考察してみる。 『バクマン。』13巻書評
●七峰という『タッチ』の吉田ポジション。 『バクマン。』14巻書評
●「試練」と「爽快感」 『バクマン。』15巻書評
●天才と孤独と孤高と。『バクマン。』16巻書評
●リベンジと伏線と。 『バクマン。』17巻書評