叶った夢と最後の試練 『バクマン。』19巻書評
- 作者: 小畑健,大場つぐみ
- 出版社/メーカー: 集英社
- 発売日: 2012/06/04
- メディア: コミック
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前巻では『REVERSI』が連載開始となり、いよいよサイコーの夢でもあった「アニメ化→結婚」というエンディングが見えた状態。一方で平丸と青樹さんの婚約など、まさに「物語をまとめにかかっている」終盤戦とも言える状況ですが、そう簡単に終わらせてはくれません。
この巻では再び亜城木夢叶に試練が発生します。この試練を乗り越えていよいよエンディングですが、フジモリの書評も今回を含めあと2回。
せっかくなので、19巻の書評に加え、『バクマン。』で「物足りなかったところ」なんかをつらつらと述べていきたいと思います。
マンガと愛情
互いが互いを意識することで生まれた、王道の邪道マンガである亜城木夢叶『REVERSI』と邪道な王道マンガである新妻エイジ『ZOMBIE☆GUN』。ジャンプのアンケートではしのぎを削っていますが、単行本の売り上げでは『ZOMBIE☆GUN』に水をあけられています。
「単行本の売り上げで抜いてこそ真の一番だ」とサイコー・シュージンの二人はさらなる高みをめざします。
『バクマン。』というマンガそのものが「マンガ家マンガ」ではなく「少年ジャンプという戦場におけるスポコンマンガ」ということは過去に何度も述べてきました。
連載に至る過程やアンケートの票の稼ぎ方など「少年ジャンプ」という「土台(=ゲームフィールド)」を最大限に生かした『バクマン。』はこれまでのマンガ家マンガにはなかった、いかにも「現代的な」マンガ家像を描くことに成功しました。
第1話の象徴的なセリフ、
シュージン「日本一のマンガ家になろう」
サイコー「日本一は無理だ この少子化の時代 今更 ドラゴンボールやワンピースは越せない」
にあるとおり、「マンガ家」を「職業」として選んだ二人。アンケートの結果やコミックスの売り上げをどうやって上げるかというビジネス的な目的「のみ」がフォーカスされ、「マンガ」が一つの「手段」となっていました。
作中で「マンガが好きで好きでたまらない」というキャラの役割はライバルである新妻エイジが担っています。これまでのステロタイプな「マンガ家像」をライバルが担っているところが『バクマン。』のウリであり、他のマンガ家マンガと決定的に異なるところなのでしょうが、それでも『バクマン。』は途中から「ジャンプで一番を目指す」という王道展開にシフトしていきました。邪道な王道で王道を目指す、という方法論だけでジャンプで一番に上り詰めてしまったのですが、フジモリのような「マンガ好き」な読者にとっては「えっ?そんなんでジャンプNo1になれるの??」と肩透かしを受けた印象があります。『ブラックジャック創作秘話』の手塚治虫のような狂気と紙一重のエピソードとまではいかないまでも、サイコー・シュージンの二人に、プロ意識「+α」な部分もみせてほしかったなぁ、などと思いました。
キャラクターとライブ感
二人の努力が実を結び、ついに『REVERSI』にアニメ化の声がかかります。
編集長は亜城木夢叶に「このアニメ化で真の看板作家になってほしい」と考えたのです。
苦節9年*1ついに亜城木夢叶の夢が一つ叶った瞬間でした。
『バクマン。』は個性豊かなキャラを多数登場させ、彼ら彼女らの掛け合いが作品の一つのウリだったと思います。「ライバル」は多数登場させながらも、「敵」は実のところほとんど登場していません。これは「読者にストレスをなるべく与えない」という作者の意識の現れだと思っていますし、同様に「トラブル」「障害」「困難」もなるべく長い回(連載でいえば4回、1ヶ月以上)はまたがないようにという配慮がみられます。たとえば、序盤ではサイコーとシュージンが互いの意識の違いから仲違いをしますが、すぐに仲直りをします。
読者のフラストレーションやストレスを溜めれば溜めるほど解決したときのカタルシスが大きいのは自明の理でありながらも、現代の読者の「ストレス耐性」を考慮した構成は、各単行本ごとに「ひき」を入れていたりきっちり20巻で完結することからもわかるとおり作者の計算通りな部分が大きいです。そして同じく、「ライブ感」を重要視し、「キャラクターの掘り下げ」をいっさい行わないところもまた、この作者の特徴でもあります。
前作『DEATH NOTE』もそうですが、旬の話題や時事ネタをうまく取り込みライブ感あふれた連載をする一方、「伏線」をほとんど張らず(張れず)、よくあるキャラクターの過去回想などがほとんどありません。
あえて厳しい言い方をすると、「物語の重厚さ」をあえて捨てることで「ライブ感」あふれる作品になっている、というのが『バクマン。』の大きな特長だと言えます。
そういう意味では、『バクマン。』はまさしく「爆発力」、つまるところ「瞬発力」に特化した漫画だったのかもしれません。
論議と燃料
『REVERSI』ヒロインを目指すシュージンの恋人の亜豆ですが、とある声優のblogから、シュージンと亜豆の交際の噂が広まってしまいます。
スポーツ紙のゴシップ記事やネットでのあらぬ噂により追いつめられる二人。
事情を知った福田の手助けなどにより鎮静化するものの、亜豆は事務所の社長より「交際を否定しろ」と命令されます。
運命の生放送。彼女が発した言葉は、
でした・・・。
作者自ら
Q.『バクマン。』の原作を書くうえで心掛けていることは?
A.『DEATH NOTE』の時からですが、「良い・悪い」「正しい・正しくない」に関わらず、極端なものの考え方を入れることです。『バクマン。』でいうと、新妻エイジの「嫌いなマンガをひとつ終わらせる権限をください」とか、サイコーと亜豆の恋愛とかです。それを入れることで読者が、「これはないだろう」とか、「自分はありかな」と色々考えてくれると思うんです。これも漫画を楽しんでもらうひとつの手段になるのではないかと私は考えています。
(QuinckJapan2008年12月号P53、大場つぐみインタビュー)
といい、作中で数々の爆弾を投げてきた最後の「障害」が、声優である亜豆のファンというなんともチャレンジャブルかつ、ライブ感あふれる展開です。
まあ、声優とマンガ家の交際がスポーツ紙に載るなんてありえないよな、などという身も蓋もないツッコミはさておき、最後の最後まで論議を巻き起こす展開というのが非常に『バクマン。』らしいです。
『バクマン。』はこれまでにもジャンプシステムにあえてツッコミを入れるかのような「編集者のエゴによる作者の意に添わない連載」「作者自らが連載に幕を引くこと」「ネット炎上を駆使した話題づくり」など「ジャンプというNo1少年漫画誌に掲載されるマンガ」としてはやや過激なテーマを盛り込んできました。
そういう意味では『バクマン。』というマンガ自体、ジャンプシステムを赤裸々に説明するなど「ネットで議論にされることで話題を集める」ことを意識した作品でもあり、「話題」をうまく「人気」につなげてきたと言えるでしょう。
とは言うもののここで描かれている声優ファンたちがあまりに悪意に満ちたデフォルメをされているなど、一部『バクマン。』読者とかぶっている層に対して攻めてきている感がハンパないです。
人気が出てからもともとのファン層に背を向けるなどというのはどこかで聞いたような気がしたりしなかったりしますが(笑)、もう少しうまい落としどころはなかったのかなぁ、などと老婆心ながら心配してしまいました。
というわけで19巻の書評と言うより「『バクマン。』反省会」に近い内容になってしまいましたが(笑)、当然ながら嫌いな作品だったら毎巻毎巻書評なんかしません。長い間読んでいたからこそのあえてのネガティブな意見でしたが、あえて最終巻の前に吐き出してスッキリしたところで、次回は『バクマン。』の総評を行いたいと思います。
あと1巻、最後までおつきあいいただければ幸いです。
●『バクマン。』と『DEATH NOTE』を比較して語る物語の「テンポ」と「密度」 『バクマン。』1巻書評
●『バクマン。』と『まんが道』と『タッチ』と。 『バクマン。』2巻書評
●『バクマン。』が描く現代の「天才」 『バクマン。』3巻書評
●編集者という「コーチ」と、現代の「コーチング」 『バクマン。』4巻書評
●漫画家で「在る」ということ。 『バクマン。』5巻書評
●病という「試練」。『バクマン』6巻書評
●嵐の予兆。『バクマン』7巻書評
●キャラクター漫画における「2周目」 『バクマン。』8巻書評
●「ギャグマンガ家」の苦悩 『バクマン。』9巻書評
●「集大成」への道のり 『バクマン。』10巻書評
●第一部、完。 『バクマン。』11巻書評
●「創造」と「表現」 『バクマン。』12巻書評
●スポーツ漫画のメソッドで描くことの限界について考察してみる。 『バクマン。』13巻書評
●七峰という『タッチ』の吉田ポジション。 『バクマン。』14巻書評
●「試練」と「爽快感」 『バクマン。』15巻書評
●天才と孤独と孤高と。『バクマン。』16巻書評
●リベンジと伏線と。 『バクマン。』17巻書評
●W主人公マンガとしての『バクマン。』 『バクマン。』18巻書評