『耳をふさいで夜を走る』(石持浅海/徳間文庫)

耳をふさいで夜を走る (徳間文庫)

耳をふさいで夜を走る (徳間文庫)

 連続殺人を目論む男の視点から語られるサスペンスです。文庫版である本書しか読んでない私はあいにくと未読なのですが、単行本版にはカバー裏に著者インタビューが収録されているみたいです。ゆえに、孫引きで恐縮ですが、

……大部分が殺人犯の視点から書かれているんですが、読まれた方は彼の視野の狭さと身勝手さに気付くと思うんですね。途中でいくつかの仮説が出てくるけれど、これも彼の勝手な思い込みに過ぎない。殺人者というのは本来、卑怯で惨めで汚くて弱くて最終的には負けるものなので、著者としては意図的にそんなふうに書いてみたわけです。
http://blog.taipeimonochrome.ddo.jp/?p=1663より

というコンセプトが本書では忠実に再現されています。
 『耳をふさいで夜を走る』というタイトルは、主人公の視野の狭さと身勝手さをシンプルに表現しています。見ざる聞かざる、そして言う。ですが、その身勝手さは一抹の論理に基づいていることも確かです。それは殺人者特有の狂人の論理であることは疑いようがありませんが、殺人が社会的に禁じられている行為である以上、その論理は身勝手なものとなるのが当然です。そういう意味で、落ち着きの悪い理屈だからこそ落ち着きがよい、といえます。

「ろくに本も読んでいないのに、古代ドイツの伝承なんてしるわけないです。でも、聞くと興味深いですね。伝説上の存在アルラウネ、あるいはマンドレイク。無実の罪を負わされて、絞首刑になった童貞男。吊るされた男が漏らした精液が地面に落ちた場所に生える、人型の植物――」
(本書p281より)

 本書は上述のコンセプトにアルラウネの伝説がモチーフとして合わさったお話です。だからというわけではないのでしょうが、セックスのあとの殺し殺されたり殺意のあとに発情したりと論理と欲望とか混線しています。エロスとタナトス、つまりは生の本能と死の本能とは紙一重、といえば聞こえはいいかもしれませんが、読んでて妙におかしくてたまりません。主人公の視野は狭いですが、作品全体の構成は実に巧みです。作者の視野の広さが憎々しいです。殺人者のズレっぷりがぶれることなく描かれている佳品です。