『プラ・バロック』(結城充考/光文社文庫)

プラ・バロック (光文社文庫)

プラ・バロック (光文社文庫)

「そう。バロック玉だもの。傷も入ってるし、安ものなの。でも正円じゃないからこそ。世界に同じ形は一つもないの」
(本書p215より)

 2008年の第12回ミステリー文学大賞新人賞受賞作品の文庫版です。もっとも、作者は2004年に『奇蹟の表現』で第11回電撃小説大賞銀賞を受賞してデビューしてますので、ミステリーとはいえ新人賞を受賞するのは妙な気もします。しかし、本書のような傑作が広く読まれるのに寄与するのであれば、受賞歴に多少の違和感があろうがなかろうが知ったことではありません。
 本書は近未来の日本を舞台にしていますが、どれくらいの未来なのかは分かりません。近いような気もしますが、意外と遠いような気もします。そんな不確かな時代設定が、不確かな「今」を描き出すことにも通じています。近未来を描いた警察小説としてミステリ読みにはひとまずオススメしたいですが、本書の魅力はそれだけにとどまりません。
 高度経済成長の時代が過去のものとなっている未来の空気は現在にも通じます。作中に蔓延するインダストリアルな空気。それは、市場経済を支配する功利主義の哲学によって導かれる効用主義的な価値観に基づくものだと思われます。すなわち、役に立つか立たないかによって図られる人生観です。そうした価値観は個々の人権を希薄にして、ひいては人をモノとして扱うことにつながります。
 本書の主人公は女性刑事クロハですが、他の登場人物もカガ、フタバ、サトウなど基本的にはカタカナで表記されています。ではこの時代には名前の漢字表記はないのかといえばそんなことはなくて、遺体の身元や容疑者の名前などは漢字で表記されています。これがどういうことなのかは作中で直接言及されてはいません。なので推測となるのですが、おそらく、プライバシーの概念が発達した未来においては漢字表記すらもプライバシー権の及ぶ範囲となるがゆえに、それが及ばなくなる段階、すなわち容疑者となるか死亡するかによって漢字表記が用いられるようになる、ということかと思われます。
 冷凍コンテナから発見された14人の男女の冷凍された遺体。自殺と判断された大量の遺体は、時が経つにつれさらに増えることになります。凍った遺体から身元を割り出し集団自殺の経緯を解き明かす過程は、あたかも圧縮されたファイルを解凍するかのような感覚を伴います。そうした感覚の発露は、おそらくは作者の思惑通りのものでしょう。効用主義とプライバシーによって封じ込まれる人間性。本書において死とは、人間性を外部に開放し取り戻すための手段として行われているといえます。遺書代わりのメールに添付されていたファイルはその分かりやすい象徴です。
 本書は、アゲハとキリという人物のカウンタでの会話という序章から始まります。アゲハがクロハのネット上でのアバターであることは比較的早い段階で明かされます。現実世界とインターネットの両方の顔を使い分ける生活という設定自体は、別に近未来を舞台にした物語でなくても、今となっては珍しいものではありません。だからこそ近未来の生活・日常としてそうした側面を描くことも不可欠です。そして、そんな現実世界とインターネットの出来事とが合わさることでやがて明らかとなる真相と結末。それは多くの劇的要素を踏まえつつも紛うことなきバロック(いびつな真珠*1)を奏でています。それは「生きること」です。
 近未来を生きる女性の姿と、犯罪と警察と、そこはかとないサイバーパンクな生活感が独特の雰囲気を醸し出しています。多くの方に強くオススメしたい傑作です。
【関連】『プラ・バロック』公式サイト(光文社)

奇蹟の表現 (電撃文庫)

奇蹟の表現 (電撃文庫)

*1:バロック(仏英: baroque)という語はポルトガル語 barocco (いびつな真珠)が由来であるとされ、過剰な装飾を持つ建築を批判するための用語として18世紀に登場した。」バロック音楽 - Wikipediaより。