『神の狩人―2031探偵物語』(柴田よしき/文春文庫)

神の狩人―2031探偵物語 (文春文庫)

神の狩人―2031探偵物語 (文春文庫)

 この物語は、近未来小説の形をとっていますが、未来を描いているのではなく「今」を描いています。
 ならばなぜ、近未来の話にしたのか、それはぜひ、お読みいただいてお考えいただければ、と思っています。
(本書「あとがき」p312より)

 本書は2008年に単行本として刊行された作品が文庫化されたものです。とはいえ、文庫化されようがされまいが、その本が読まれるタイミングというのは読者によってまちまちです。であるならば、この作品において読まれるべき「今」とはどの時間を指しているのでしょう。ま、それはやはり実際に読んでいただいて感得していただくほかありません。
 ただ、「今」という時は、それを意識した瞬間にすでに過去となってしまっています。つまり、「今」を「今」そのままに語ることはできないわけです。どうせ「今」が過去であるならば、近未来小説の観点から「今」を過去として語る。それが本書の趣向だといえるでしょう。
 本書はサラという私立探偵を主人公としたハードボイルドの形式が採用されていますが、それが立脚する「私立探偵」というポジションが伝統的なそれと「今」とでは異なっています。すなわち、2007年に施行されたいわゆる「探偵業法探偵業の業務の適正化に関する法律 - Wikipedia)」により登録制となっています。それまでアウトローの象徴とされてきた私立探偵という職業も国家の枠組みに取り込まれることになりました。これが2031年になるとさらに……。そんな私立探偵のポジションの変遷が、近未来における国家と市民との関係を見つめなおす契機となっているのが面白いです。
 2031年の日本社会。高齢化社会、人口減少、地方と都会、食生活、個人の情報化、環境問題、ドラッグ、整形、セックス、そして自殺などなど。2031年に起きている社会問題の原因を考えるときに浮かび上がってくる「今」。そんな「今」を強く考えさせる構成になっていながらも、それほど社会派臭が強い作品ではありません。それは、2031年を生きる主人公サラの人物描写に重きが置かれているからで、それが私のような社会派好きには少々物足りなく感じないでもありません。
 ただ、たとえば本書の世界では家屋の窓からの覗きが合法とされています。「見えるものを見てるだけで違法だった時代の方がおかしい」(本書p83より)というわけですが、「今」の時点において、ストリートビューに下着映った…損害賠償訴訟(YOMIURI ONLINE)とあるように、現在進行形の問題となっています。読み手自身が社会に対してどれだけ能動的に臨むのかによって読み口が変わってくる作品だと思います。
 巻末の江下雅之の解説でも触れられていますが、ハードボイルド形式で一つひとつのエピソードを解決していくお話なのかと思いきや、3話目からそうした予想を裏切る方向に物語は拡散します。個人的には近未来小説ならではのオーソドックスなエピソードの積み重ねを読みたかったですが(なので私は1話と2話が好きです・笑)、そんな甘えを許してくれる作品ではありません。言ってしまうと、それには9.11が深く関係しています。拡散する物語と自我との戦い。「神」と「狩人」の追いかけっこ。
 未来を想定するためには「今」を踏まえる必要があります。社会の「今」でも自分自身の「今」でも。そんな「今」を心に留めて置くためのワクチンとして有効なお話だと思います。