『僕の妹は漢字が読める』(かじいたかし/HJ文庫)

僕の妹は漢字が読める (HJ文庫)

僕の妹は漢字が読める (HJ文庫)

 まず最初に言っておくと、僕はこの作品を評価しない。
 5点満点で2点ぐらい。
 なぜかというと、せっかくの面白い設定をぜんぜん使いこなしていないからである。
山本弘のSF秘密基地BLOG:『僕の妹は漢字が読める』の感想がひどい件より

 基本的に上記リンク先感想にほぼ同意です。
 やってることは滅茶苦茶ですがいってることはごくごく真っ当な作品です。
 当blogをご覧の方であれば分かっていただけるかと思いますが、私はラノベか非ラノベかをあまり意識することなく小説として普通に読んでます。ところが、ネットをうろうろしてますと、ラノベと一般小説の違いといった問題について真剣に議論されていて、それだけなら別に問題はないのですが、あげくラノベは小説、あるいは文学ではない、といった意見までときどき散見されます。本書はそんなラノベ≠小説(あるいは≠文学)といった価値観を皮肉った作品で、いわゆるラノベ(あるいは携帯小説)こそが小説あるいは文学で普通の小説や文学がキワモノ扱いされている23世紀が舞台のメタ小説です。とはいえ、そんなに深刻かつ深遠な議論がなされているわけでもなくて、いろいろあっていいんじゃね?的な結論がドタバタコメディのなかでさらりと述べられる程度の作品です。まあ、あんまりテーマ性ばかりが先行しても物語としてつまらないですから、それはそれで構わないとは思います。
 しかしながら、やはり「漢字を読める者がほとんどいない」という設定がほとんど活かされていない展開については残念に思わずにいられません。それと、個人的には「漢字」についてのこだわりが見られないのが拍子抜けでガッカリです。いったい「漢字」とは何なのか。なぜ未来では「漢字」が使われていないのか。そういった点についていろいろと語られている作品なのかと思いきや、それがまったくなかったのでフラストレーション溜まりまくりです。
 そんなことをつらつら考えながら書店をうろちょろしてましたら『漢字が日本語をほろぼす』(田中克彦角川SSC新書)なる本が目についたので読んでみました。この本は、

一、漢字をたくさん使って書かれた文章は、そうでないものよりもりっぱで価値が高いという考えを捨てよう! 漢字の多さは、むしろ書き手のことばの力のまずしさを示しているものだと思おう!
二、もっと問題なのはその人の国語力のみならず、漢字を使っていばる人は、自分の言っていることをごまかし野心をかくそうというはしたない考えの持ち主であるから、国語力だけでなく、徳性においても劣っているものと思うことにしよう!
(『漢字が日本語をほろぼす』あとがきp264〜265より)

というスローガンのもと、日本語を開かれた言語にすべきという思いに基づいて書かれています。本書で説かれている漢字の弊害として、「外国人の理解をはばむ」「教養をひけらかすアクセサリーとなっている」「おとなとこどもの言語上のへだたりを生んでいる」といったことが挙げられています。そうした観点から、「漢字」という「文字」の特殊性、ひいては日本語の自閉性について論じられている本です。さらに、あとがきにて「22世紀中には日本語の中から漢字がなくなるだろう」という安本美典の予測*1が紹介されています。
 ということで、ようやく本書の世界観につながってきます。漢字が読める読めないというのは言語の閉鎖性・公開性を表わすもので、それがつまりは小説観・文学観の閉鎖性・公開性につながる、ということになるのでしょう。こういった辺りの事情を作中でさらっと書いててくれたらよかったのにと思うと、やはりションボリです。
 いろいろと物足りなくて残念なお話ではありますが、問題意識としてはそこそこ面白い一冊だと思います。
【関連】僕の妹は漢字が読める | HJ文庫公式Webサイト(試し読みページへのリンクがあります。)

漢字が日本語をほろぼす (角川SSC新書)

漢字が日本語をほろぼす (角川SSC新書)

*1:孫引きです。詳しくは『漢字の未来 新版』(野村雅昭/三元社)とのことですので興味のある方は是非。