『誘う森』(吉永南央/創元推理文庫)

誘う森 (創元推理文庫)

誘う森 (創元推理文庫)

「……一年が過ぎても置いてくるどころか、疑問で一杯ですよ。なぜ自殺したのか、なぜ悩みを打ち明けてくれなかったのか、なぜ、なぜ、なぜ、そればっかりだ」
(本書p164より)

 一年前に自殺した妻の死を受け入れられない洋介は、謎に満ちた妻の過去から自殺の真相を突き止めようとする。老舗酒造を手伝いながら自殺の名所と呼ばれる森で自殺防止のボランティアとして活動していた彼女が、いったいなぜ自殺したのか?……といったお話です。
 タイトルは『誘う(いざなう)森』ですので書籍検索などの際にはご注意を。
 誘拐や窃盗、あるいは”日常の謎”と呼ばれる作品はあるものの、ミステリの多くは殺人事件を扱います。その殺人事件にしても、最初から殺人事件と決め付けられるとは限らなくて、たとえ形ばかりのものだとしても、自然死(病死含む)、事故死、そして自殺といった可能性も検討した上で殺人事件としての推理が始まります。であるならば、ミステリというのは広い意味での”死”、というより”死因”を扱うジャンルであるといえます。本書はそんな”死”のなかでも「自殺」を主題にした作品です。とはいえ、「自殺」を主題にした作品は往々にしてそれほど面白いものではありません。
 殺人事件における加害者と被害者の不公平。そのひとつに、殺人事件の犯人には警察や検察官・裁判官によって、生まれてから事件を起こすまでの物語と、場合によっては更生に至るまでの物語が与えられるのに対し、被害者に対しては強制的に断絶させられた未完の物語が与えられるから、というのがあるように思います。
 自殺の場合も同様ですが、自殺の場合には自らの命に対する”犯人”としての側面もあります。もしもその真相を突き止めることができれば、残された者は不完全なものではなく完全な物語を抱いてこれからの人生を歩むことができます。おそらく、この違いはとても大きなものなのでしょう。しかし、なぜ自殺したのか? その問いに答えてくれる人はもういません。殺人であれば、犯人を問い詰めることで真相を聞き出すことができます。でも、自殺はそうではありません。その真相をいくら頭の中で思い描いても不完全で不満足なままです。本書は小説ですので、読者に対してそんな不完全な思いを抱かせたまま物語を終わらせたりはしていません。それがいいのか悪いのかは、正直判断がつきかねます。途中、死んだ妻である香映の視点も挟まれているのですが、”自殺”というものが周囲に与えるフラストレーションを考えれば、香映の視点を導入することで真実性を担保する必要などなかったようにも思います。
 古くからの酒造が醸し出す酒気の煙る独特な雰囲気。そして、自殺者を呼び寄せる森。「木を隠すなら森」といいますが、本書は木というひとつの死だけでなく、森といういくつかの死が描かれている作品でもあります。嫌いじゃないです、といった微妙なニュアンスでオススメしておきます。