『捕虜収容所の死』(マイケル・ギルバート/創元推理文庫)

捕虜収容所の死 (創元推理文庫)

捕虜収容所の死 (創元推理文庫)

「この事件は間違いなく常軌を逸した出来事だ」ショア大佐がいった。「だからこそ、かえって解決は容易だろうとわたしは考えている。ごくありきたりの事件なら、さまざまな解釈が成り立ち、かえってどれが正しいのか判断が難しい。だが今回のように異常な事件では、それを説明できる解釈が見つかれば真相はそれ以外にないことになる」
(本書p104より)

 第二次世界大戦下のイタリア第一二七捕虜収容所に収容されているイギリス兵たち。彼らの間では着々と脱走計画が練られトンネルが密かに掘り進められていたが、しかしそのトンネルの中からスパイ疑惑をかけられていた捕虜の死体が発見される。いったい誰の手によって殺されたのか。イギリス兵?それともイタリア兵?”刑事事件の捜査”の名の下に捕虜の扱いについての戦争条約を無視してイギリス兵たちに介入してくるイタリア兵。新たなスパイが存在する疑惑も浮上する中、事件解決のためゴイルズ大尉が探偵役を命じられる。その一方で戦況は刻々と変化していく。彼らの脱走劇は果たして成功するのか。そして事件の真相は?……といったお話です。
 「殺人事件の捜査」というミステリ的面白さと「収容所からの脱出」というスリラー的面白さが渾然一体となった構成。それが本書の一番の魅力です。普通のミステリであれば、探偵役というのは特権的な存在として事件に取り組みますが、その役割はともすれば”神”と揶揄されることもしばしばです。ところが、本書のように「収容所からの脱出」というより重要な目的があり、しかもそれが戦況の変化によっては一刻の猶予も許されない可能性もあるというデスゲーム的状況下においては、探偵もまた一人の人間に過ぎないことを否応なく思い知らされます。
 本書巻末の森英俊による解説でも触れられているように、本書には様々な二重構造が仕組まれています。二重の犯人捜し。二重の不可能状況。二重のデッドライン。二重の謎解き。それらはミステリとスリラーという二重仕立てのストーリー構成による必然的要請であるともいえますが、それらを鮮やかに織り込んで作品として見事に仕上げている点は評価しないわけにはいきません。
 もっとも、ミステリとしてはあまりにも登場人物が多すぎるため犯人捜しという観点からはどうしても興味が散漫になってしまうのは否めません。もう少し容疑者の絞込みがあれば……というのは贅沢というものでしょうか(苦笑)。あと、捕虜による演劇があるのですが、これももう少し本筋と絡めて欲しかったかなぁと。いや、スパイが日頃行なっている演技と劇団員たちの演技とを重ね合わせたいという趣向なのは分かるのですが、そのために容疑者候補を必要以上に増やすことになってしまっているデメリットを考えると費用対効果という点でどうかなぁと。
 とはいえ、最後になって明らかになった犯人の正体には驚きましたし反転する真相の鮮やかさも印象に残ります。捕虜収容所という舞台・時代設定も存分に活かされて、この設定でなければ描くことのできない物語が展開されています。戦時中の捕虜収容所という人を殺す論理と生かす論理が錯綜している場所での殺人劇にして信頼と裏切りが錯綜するスパイゲーム。一読の価値ある逸品です。