『ビッグ・ボウの殺人』(イズレイル・ザングウィル/ハヤカワ文庫)
- 作者: イズレイル・ザングウィル,吉田誠一
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 1980/01
- メディア: 文庫
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なぜこのような古典を本棚から引っ張り出してきたかといえば、本書の序文を読み返してみたくなったからです*2。本書はもともと新聞の連載形式で発表されていたため、読者から犯人やトリックの予想がたくさん寄せられたそうです。そうした手紙に対して著者は、「連載紙では『皆さんの手紙に書かれている真犯人を外すかたちで結末を書いた』と書きましたが、それは皆さんにもお分かりのことと思いますがジョークです。ミステリ小説というのは緊密な構成されているものなのですから土壇場になって筋書きを変更することなんてできやしません。この結末は最初から決まっていたことなんですよ」というようなことが述べられています(詳しくは実物をお読みください)。
なるほど。著者ザングウィルは自らを念入りにプロットを練ってから書き上げるタイプだとしているわけで、そうした立場からすれば一理ある主張だと思います。ただ、実際には書きながら真相を思いつく場当たり型のミステリ作家も結構いるみたいですから、こうした主張の真偽は定かではありません。犯人当て・トリック当てゲームを厳格に行いたいのであれば、二日制の将棋や囲碁のタイトル戦のように封じ手をして公平性を担保する必要があるでしょう。
インターネットの発達によって、作者と読者の距離は格段に縮まりました。連載中のミステリや続き物のノベルゲームなどに関する読者の予想や推理の仮説も、ネットを使えば多くの方に読んでもらうことができますし、場合によっては作者すらもそれを参考にして「後出しジャンケン」を行うことだってできないことではないです。そうした現状において、犯人や結末を予想したり仮説を論じることに果たして意味があるのかといえば、まあ面白ければそんなのどうだっていいのですが(笑)、単に結末を読むことよりも好き勝手に予想を言い合ってる方がむしろ至福の時かもしれません。ときにパズルゲームと揶揄されることもあるミステリですが、小説である以上筋書きは決して一様なものではありません。そこがパズルと小説の妙を味わいとするミステリの魅力ではないでしょうか。
古典であるが故に本書のトリックは超有名なものです。たとえ本書を読んだことのない方であっても、密室殺人のトリックを思いつくまま適当に挙げていくと本書のトリックを無意識に喋ってしまうかもしれません。それくらい有名で典型的なものですが、しかし当時とすれば画期的であったことは間違いありませんし、本書のトリックを応用したりフェイクとして活用しているものはたくさんあります。シンプルにして盲点。実に見事なトリックです。
そんなわけでトリックばかりに目が奪われがちですが、それ以外にも見逃せない点がたくさんあります。新聞連載だったということもあって、読者を喜ばせたり悩ませたりするためにに複数の仮説の検証がなされているのも実に興味深いです。それに、ときに「密室なんて意味がない。そんなことするくらいなら通り魔の犯行に見せかけて容疑者を絞らせないようにする方が遥かに有効だ」という主張がなされることがあります。確かにその方が実際的ではありますが、しかしながら最初の密室ものである本書において既にそうした主張に対しての反論がなされています。
捕まりにくさということを考えると通り魔の犯行に見せかけた方が合理的なのは間違いありません。ただ、本書を読めばお分かりのとおり、当時のイギリスやアメリカでは検死審問という制度がありました*3。つまり怪事件が発生したらそれが殺人なのか、それともそれ以外のもの(自殺・事故・病死など)なのかをまずハッキリとさせる制度が存在していたのです。そのことを前提とすれば、本書の展開を読めば明らかなように密室での変死体は殺人とも自殺とも事故とも判別ができなくて、そこから捜査は進展しないことになってしまいます。捜査が進展しないということは、真犯人は枕を高くして眠ることができるということを意味します*4。
また、密室を無意味なものとする立場からは、怪しい奴を捕まえてから自供させればいい、という主張が散見されますが、そうした主張は自白を強要したり自白の偏重を促すものとして厳に慎まれなければなりません。それに、日本だとあまりないみたいですが、アメリカとかだと注目が集まる事件の場合には「俺が犯人だ」と名乗り出る人がたくさんいるみたいなのです*5。実際、本書でもそうしたことが指摘されていますが、そうなると自供だけでは全然意味がないわけです。やはりどうやって被害者を殺害したのかという密室の解明、ひいては因果関係の解明は欠かせないわけで、その意味で密室が無意味であるとの主張には私は与することはできません。沿革として、最初の密室ものの時点で既にこうした点が押さえられているところが本当にすごいと思います。
また、
こんにちのような電気時代には、犯罪者は世界的な名声を得る。少数の芸術家に等しい特権が与えられるのだ。こんどは、このおれがその少数の芸術家のひとりに数えられるのだ。そうなって当然ではないか。もし犯人があの殺人を計画するにあたって天才的と言っていいほど巧妙だったのなら、それを解明した彼は、千里眼的と言っていいほどの鋭い推理力を備えていたということになる。これまで彼は、これほどばらばらになった鎖の輪をつなぎ合わせたことはなかった。劇的な計画を劇的な構成に仕立て上げる千載一遇の好機をのがす気にはなれなかった。
(本書p132より)
これは芸術という概念を媒介として犯人と探偵との関係を述べたものですが、最初の密室ものにして既にここまでのことが考えられていたということには驚きを禁じ得ません。ってか、本書の真相というか犯人ってすごいんですよね。ものすごく尖ってるので古典であるにもかかわらずとても現代的で全然古臭さを感じません。こういう先例を読むとミステリは何をやってもいいんだなという気にさせられます。ともすれば読書ライフというのは新作を追っかけることばかりになりがちですが、たまには古典を読んでみるのも悪くないですよー(笑)。なお、本書にはポーの『モルグ街の殺人』のネタバレがありますので念のためご注意を。
- 作者: 有栖川有栖,磯田和一
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2003/01
- メディア: 文庫
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