『完全恋愛』(牧薩次/小学館文庫)

完全恋愛 (小学館文庫)

完全恋愛 (小学館文庫)

他者にその存在さえ知られない罪を
完全犯罪と呼ぶ
では
他者にその存在さえ知られない恋は
完全恋愛と呼ばれるべきか?

(本書p3より)

 第9回本格ミステリ大賞受賞作品です*1
 牧薩次というペンネームについては巻末の「解説あるいは弁解」にて詳しく述べられていますが、辻真先アナグラムです。そして、辻真先の作品に登場する探偵役の名前でもあります。辻真先の別名義であり、辻真先の分身ともいうべき存在であるミステリ作家。それが牧薩次です。辻真先は多彩な作家ですが、牧薩次はミステリ一筋の作家です。ゆえに、牧薩次名義で書かれた本作は当然ミステリです。それでいて、辻真先を知らない読者が読んでもまったく問題ありません。それも別名義の効用です。さらに、別名義とアナグラムという趣向は作中にもゲフンゲフン。
 第二次大戦末期の福島県の温泉地に東京からやってきた本庄究。少年は同じく戦火を逃れて疎開してきた画家の娘・小仏朋音に恋をする。やがて終戦となるが、同地で進駐軍アメリカ兵が何者かによって殺されるという事件が起こる。時は経って昭和四十三年。福島の山村にあるはずのナイフが西表島にある少女の胸に突き刺さる。大人になって画家として大成した本庄究の目の前で。さらに昭和六十二年。東京にいるはずの犯人が福島にも現われる。戦後の昭和史を背景に三つの事件を結ぶのはひとつの恋心。そして……といったお話です。
 三つの事件は、それぞれ目次にて「おもい―時代錯誤の狂気」「なげき―地上最大の密室」「わかれ―究極の不在証明」とその趣向が題されています。このうち、「おもい」については早い段階で真相が明かされますが、思えばこの事件がすべての発端となっています。続く、「なげき」と「わかれ」の真相には前者には驚き、後者には呆れました(笑)。本書のメインディッシュならぬメイントリックは別に用意されていますが、その真実は実際のところほとんどの読者にとって予想できるものではないのでしょうか。だからこそ、各論かもしれませんが個別のトリックに対する印象のほうがミステリとしては強く残ります。
 本格ミステリであることが謳われつつ『完全恋愛』というタイトルに接しますと、ヴァン・ダインの二十則*2の中のひとつ「3.不必要なラブロマンスを付け加えて知的な物語の展開を混乱させてはいけない。ミステリーの課題は、あくまで犯人を正義の庭に引き出す事であり、恋に悩む男女を結婚の祭壇に導くことではない。」が思い出されます。古典的な指針ですし、知的な物語の展開を恋愛要素で混乱させるストーリーなどむしろありきたりとすらいえます。ですが、本訴で扱われている恋愛要素は決して不必要なものなどではありません。その意味で、本書は古典的な指針にも耐えうる本格度を有しているといえます(もっとも、二十則を引き合いに出すと他の規則で引っかかってるものがあるのですが(笑)。まあ、あくまで古典的な指針ですので)。
 身も蓋もないことをいえば、「他者にその存在さえ知られない恋」というのは一般に「片想い」と呼ぶのではないかと思うのです。してみると、相思相愛が恋愛のあるべき姿だとすれば、「完全恋愛は」不完全恋愛だといわざるを得ないと思うのです。しかし、だからこそ本書は面白いのだといえます。犯罪小説としての完全性と恋愛小説としての不完全性。そこには情と理という人間のふたつの側面が描かれています。それはまさに本格ミステリにこだわったからこその成果だといえます。
 時間を越えた思いと空間を越えたトリック。ひとりの画家の人生と昭和史という近景と遠景による奥行きの深さ。それらを支えるリーダビリティ。紛うことなき力作です。オススメです。