『折れた竜骨』(米澤穂信/東京創元社)

折れた竜骨 (ミステリ・フロンティア)

折れた竜骨 (ミステリ・フロンティア)

『全ての魔術を知っているわけではない以上、師匠にも誰が〈走狗〉か探り当てることはできない、ということですか』
『違う』
 ファルクは決然と言い切る。
『たとえ誰かが魔術師であったとしても、また誰がどのような魔術を用いたとしても、それでも〈走狗〉は彼である、または彼ではない、という理由を見つけ出すのだ』
(本書p99より)

 時は12世紀。ロンドンから出帆し、波高き北海を三日も進んだあたりに浮かぶソロン諸島。その領主を父に持つアミーナはある日、放浪の旅を続ける騎士ファルク・フィッツジョンと、その従士の少年ニコラに出会う。ファルクはアミーナの父に、御身は恐るべき魔術の使い手である暗殺騎士に命を狙われている、と告げる。まさにその夜、領主は何者かによって暗殺される。ファルクの捜査で、殺人は魔術によって操られた「走狗(ミニオン)」によるものであることが明らかとなる。「走狗」の候補は八人。いったい誰が「走狗」なのか?そして「呪われたデーン人」に狙われているソロン島の運命は……? といったお話です。
 SFミステリ、あるいは幻想ミステリやファンタジック・ミステリといわれることもありますが、本書はそうした特殊設定が用いられているミステリです。巻末のあとがきにて西澤保彦『七回死んだ男』、山口雅也『生ける屍の死』、辻真先『天使の殺人』『デッド・ディテクティブ』、ランドル・ギャレット『魔術師が多すぎる』といったタイトルが挙げられていますが、本書はそうした系譜に属します。すなわち、魔法が存在する12世紀のイングランドというパラレル・ワールドが舞台のミステリです。
 特殊設定を用いる理由とはいったい何でしょう? いくつか考えられますが、新しくて魅力的な謎解きやトリックといったものを用意に創造することができることが大きな要因であることは間違いないでしょう。将棋に例えれば、現代の将棋は序盤の研究が進んだ結果、画期的な戦法や定跡が生まれにくい閉塞的状況がとなりつつあります。ですが、もしも桂馬を横に飛べるようルールを改変すれば、それだけで状況は一変します。既存の定跡は改められ、新たな戦法や手筋が次々と生み出されることになるでしょう。本書にはミステリ的には「走狗」によるフーダニットがテーマの殺人と密室状況からの脱出という二つの大きな謎が問題となりますが、後者の謎についていえば魔法という特殊設定があればこその謎解きとなっています。
 ですが、そうしたルールの改変は諸刃の剣でもあります。なぜなら、桂馬が横に飛べるのであれば、だったら金が斜め後ろに移動したり銀が横や後ろに移動できるようになってもおかしくありません。もっとも、将棋であれば、他にルールの改変はない、と断りをいれればそれですみます。ですが、本書のように登場人物たちが知る以外の魔法や魔術が存在するかもしれない世界観にあっては、ルール改変の制限について予断を入れるわけにはいきません。確かに、序盤早々の「犯人は領主が作戦室にいることを知っていた者」という条件によって八人に絞られます。とはいうものの、この条件にしても何らかの魔法によって外部から情報を入手していたという可能性を完全に排除できるわけではありません。かように、特殊設定が付加されたミステリというものは厳密な推理を打ち立てることを困難にしてしまうものなのです。
 にもかかわらず、本書は結末においてフーダニットとして、犯人当ての推理を成立させ、犯人を論理的に導き出しています。それは、ひとつには八人の容疑者それぞれの「走狗」である可能性を丁寧に排除していくという消去法による推理が丁寧に行われている点にあります。ですが、上述のように、特殊設定が付加されたミステリにおいて、厳密にすべての可能性を排除し得ることは不可能です。それでいて犯人が特定されているのは、消去法だけではなく犯人を積極的に指し示す証拠があって、それを結びつけることによって犯人が導き出されるという演繹的推理も行われているからです。(ネタバレ伏字→)そして何よりも、探偵が解決編において新たな仮定的条件を持ち出すことなく推理を行い、そして犯人もまたその推理に粛々と殉じていることが、本書のフェアプレイを補完しています。魔術によって殺人を行う暗殺騎士と、暗殺騎士を滅ぼすために魔術を研究する病院兄弟団。犯人と探偵、どちらが先でどちらが後なのかというニワトリと卵の関係は、つまるところ表裏一体の関係です。本書はそんな表裏の関係、換言すれば「探偵の死神性」とでもいうべきものがシニカルに導入された作品であるともいえると思います。(←ココまで)
 容疑者たちへの事情聴取によって、それぞれの人物の背景が明らかとなります。登場人物たちの個性だけでなく、12世紀のイングランドという文化的歴史的背景と、剣と魔法の世界というファンタジー的世界観とが重層的に物語られます。そして迎える「呪われたデーン人」との決戦。容疑者たちへの事情聴取は推理のためではなくこの場面を描くためにあったのでは思うくらいに生き生きと、そして緊張感と臨場感とがたっぷりに描かれています。
 剣と魔法と、そして論理が火花を散らす冒険譚。ここで行われる推理は単なる過去の総括ではありません。未来へと紡がれるためのものです。本書は(架空)歴史物語としての威容と成長小説としての読後感も堪能することができます。多くの方にオススメの逸品です。
【関連】
2011年 第64回 日本推理作家協会賞 長編及び連作短編集部門 『折れた竜骨』 - 日本推理作家協会
http://www.webmysteries.jp/lounge/yonezawa1011-1.html
http://book.asahi.com/clip/TKY201012240364.html