『花束に謎のリボン』(松尾由美/光文社文庫)

花束に謎のリボン (光文社文庫)

花束に謎のリボン (光文社文庫)

 多くの本格ミステリはとりあえずの仮説と最終的な真相を備えている。探偵役や捜査陣が仮説を示し、誤りが確認される――というサイクルが繰り返された後、クライマックスにおいて真相が明かされる。それが最上の(整合性と魅力を伴う)推理だとは限らないが、いずれにせよ真相には特権的な地位が与えられているのだ。
(中略)
 最後に真相が明かされることで、読者はそれが真実だと受け入れる。理由はそこで物語が終わるからだ。
本格ミステリ鑑賞術』(福井健太東京創元社)「第三章 解決の多層性」p78〜79より

 桜井智花が働く花屋には時々不思議なお客がやってくる。素敵な花束にそぐわないリボンを選ぶ男性。「アマリリス」の歌詞を尋ねる少年。水中花を求める男性などなど。そんな小さな謎を同棲している小説家の三山嘉信に話すと意外な推理を語り始めるが、これがどうにも暗いものばかりで……といったお話です。
 多くのミステリにおいて最後に開陳される真相は特権的なものです。本書はそんなミステリの定型から外れた作品です。本書は短編形式の連作ミステリですが、一編一編の最後で真相が明かされます。一編一編として見れば、仮説よりも真相の方に価値があります。しかしながら、本書全体としてみれば、真相と比したときに浮き彫りとなる仮説のネガティブさ、人間の負の感情にわざわざ焦点を当てて導き出される仮説の積み重ねによって生まれるストーリーの方が重要です。このとき真相は、推理と称して仮説を述べている小説家の性格の負の側面といったものを明るみに出すための”出汁”として機能しています。真相よりも仮説が面白いミステリというのは散見されますが、仮説により積極的に意味を持たせることによって人間性が描き出されている点が本書の面白さです。
 というよりも本書は、はっきり言ってしまえば恋愛を描くためにミステリが用いられているといえます。推理とは、一般的には合理的な思考に基づいて行われるものとされますが、現実的には個々人の指向性が反映されます。そうした推理の多層性によってふたりの男女の考え方や物の見方・価値観の違いといったものが描かれています。含羞としてのミステリ、あるいは、過去を描くミステリと未来を描くミステリという時間的対比といったストーリーの方向性の違いが、本書はとても有意的に描かれています。
 恋愛小説とミステリが同居している本書ですが、物語としては、男が小説家という不安定な自由業であるのに対して女がサラリーマンという経済的な背景とか食事をどっちが作ってどっちが片づけるとか妬いたり妬かれたりといった、三十代の男女が同居する上での微妙な事情や機微といったものが繊細な描写で描かれています。痴情ならぬ知情のもつれを楽しみながらも、それが解決する過程に着目すれば、本書は恋愛小説でもありミステリでもあるといえます。そういうお話ですので、ジャンルの枠にこだわることなく多くの方に読んでみて欲しいです。オススメです。
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本格ミステリ鑑賞術 (キイ・ライブラリー)

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