『死なない生徒殺人事件』(野崎まど/メディアワークス文庫)

「ところで、生命がある、つまり、生きている、ということは、どう定義されていると思う?」
「私は……、そうですね。自己増殖することだと思います」
「じゃあ、コンピュータウィルスは生物だね」
「先生、答えがあるのですか?」
「そう、僕の認識ではね……、生物の定義はやはり曖昧だ。自己防衛能力、自己繁殖力、それに、エネルギィ変換を行うこと、それくらいかな……。しかしね、たとえば、木で作られた可愛らしい起きあがりこぼしを想像してごらん」
「起きあがりこぼし、ですか?」
「いいかい? それは有機質だ。木でできているからね。それから、自己防衛能力がある。倒されても起きあがるだろう……。それに、ポテンシャルエネルギィを運動エネルギィに変換している」
「自己繁殖はしないわ」
「ところが、その起きあがりこぼしは、ものすごく可愛らしいんだよ。だから、それを一目見た人間はそれが欲しくなる。そのため、どんどん生産される。つまり、可愛らしいという自分の能力で、結果的には自己増殖していることになる」
「でも、作るのは人間でしょう? 自己繁殖ではありません」
「他の生物の助けを借りないと繁殖できない生物は沢山いるよ。花が咲くのは、昆虫に可愛らしく見せて、事故繁殖の助けを求めているからだろう?」
「それじゃあ、先生は、その起きあがりこぼしが生命体っておっしゃるのですか?」
「さっきの定義だとそうなるね。だから、曖昧だって言っただろう。もちろん、DNAなんかで厳密に定義すれば、答は違うものになるけどね……。というわけで、僕は、コンピュータウイルスは生命体だと思っている」
『すべてがFになる』(森博嗣/講談社文庫)p43〜45より会話文のみ一部抜粋

 不死について考えるためには死とはどういうことかについて考えなければならず、となればさらにその前提として生きているとはどういうことかについて考えなくてはならないのが道理というものでしょう。というわけで、本書においても物語の早い段階で生命の定義や不死とはどういうものなのか、といった問答が行われます。また、ミーム(【参考】ミーム - Wikipedia)といった概念に関心のある方にもそれなりに興味深い内容かもしれません。とはいえ、そんなに深いところまで掘り下げられるわけでもありませんので過度な期待は禁物です。
 たとえ定義が曖昧な概念であっても、物語であればそれについて語ることができます。四角形と五角形の中間という図形など実際に描くことはできませんが、文字による表現形式である小説ならそれを表現できるように。
 本書には、「死なない生徒」という謎と、「死なない生徒」殺人事件という通常のミステリとしての謎があります。ミステリとしての犯人当てはそもそもの犯人候補が少ないこともあって難易度は極めて低いものとなっています。ただ、犯人のあぶり出し方や動機について前述の「死なない生徒」という謎がクローズアップされます。議論としては上述のようにそんなに深いものではありませんが、世界観を揺さぶるという意味において巧みといえば巧みですし図々しいといえば図々しいです。
 薄口で軽口な読み口ですが、コンパクトさ(あとがき込みで243ページ)を考えればそんなに悪い気はしないお話です。

すべてがFになる (講談社文庫)

すべてがFになる (講談社文庫)