『作者不詳 ミステリ作家の読む本』(三津田信三/講談社文庫)

作者不詳 ミステリ作家の読む本 (上) (講談社文庫)

作者不詳 ミステリ作家の読む本 (上) (講談社文庫)

作者不詳 ミステリ作家の読む本 (下) (講談社文庫)

作者不詳 ミステリ作家の読む本 (下) (講談社文庫)

 三津田信三といえばホラーとミステリを融合させた作風で知られていますが、本作はその真価が存分に発揮されたものだといえます。
 『忌館―ホラー作家の棲む家』を上梓し体調を崩した三津田。しばしの休養の計画を練る中で思い出される記憶の断片。それは『迷宮草子』という一冊の同人誌にまつわる友人・飛鳥信一郎との奇妙な体験だった。『迷宮草子』には全部で7話の作品が収録されており、それぞれが面白くも奇妙な「体験談」であるが、それを読んだ三津田と信一郎の周辺に作中と同様の怪現象が現われる。例えば第1話「霧の館」を読み終わった後に二人の周囲にだけ霧が発生するというような。聞けば『迷宮草子』の読者はみな行方不明になっていると思われる。どうやら、7話すべての謎を解き最後まで『迷宮草子』を読む以外にこの怪異から逃れる方法はないらしい。三津田と信一郎は「死の読書ゲーム」とでもいうべき推理ゲームに挑むことになるが……。といったお話です。
 あらすじからも分かるとおり、本書は作中作である『迷宮草子』が問題編で、それを読んで三津田と信一郎が推理をするのが解決編という構成になっています。ただし、作中作であるはずの『迷宮草子』がそれを読んでいる三津田や信一郎といった読者にも影響を与えるという双方向性的指向性が本書の面白いところです。まさに”虚構と現実が溶け合う恐怖”です。怪談という古典的趣向とメタ的な現代的な趣向が用いられた稀有な構成だといえるでしょう。
 強調しておきたいのは、『迷宮草子』に収録されている7つの作品がどれもホラーとしてもミステリとしても非常に優れたものであるという点です。それは、ひとつには本書の構造上、問題編と解決編が明確に分かれているため、問題編を書くにあたって解決編まで書かなくてはならないという制約を無視して書くことができたというメリットはあったと思いますが、それにしても上質な作品ばかりです。レベルの高いミステリ短編集として普通にオススメできます。
 ですが、それだけではありません。本書全体を通しての構成もまた見事です。

 探偵が存在するから事件が起こるのではないか、という本格ミステリの逆説めいた世界に迷い込んだ気分だった。名探偵がいるのに、どうして連続殺人が起こるのか、というお馴染みの矛盾である。
(本書上巻p350より)

 「誰もいない森で倒れる木は音を立てない」という哲学の問いにも通じる矛盾ですが、本書の場合には、木が作者で音が本、そして読者が誰か、ということになるでしょうか。いずれにしましても、読者を巻き込むメタ的仕掛けはこの作者の作品としてはお馴染みのものではありますが、その巧妙さにはいつも驚かされるばかりです。
 ちなみに、黄金の羊毛亭さんの感想(ネタバレ感想)で指摘されていますが、本作はノベルス版と文庫版では全面的な改稿がなされており、特に結末はまったくの別ものになっているそうです。なので、すでにノベルス版でお読みの方につきましても文庫版は必読かと思われます*1
 また、本書内の『迷宮草子』の挿絵、あるいは本書上下巻のカバー絵もそうですが、本書上巻p286にある通り、イラスト内の人物の首が切れているように見えるよう描かれています。この趣向の意味は、著者の『首無の如き祟るもの』のネタバレっぽくなってしまうので伏字にしますが、(ネタバレ伏字)首無=神無=作者なし=作者不詳(ここまで)という意味が込められているのではないかと思います。
 「ミステリ作家の読む本」だからこそ、ミステリ読者にあまねくオススメしたい作品です。

*1:かくいう私は文庫版しか読んでませんが(汗)。だって、ノベルス版は出版社品切れで入手困難ですので致し方ありませぬ。本書下巻p424の記述が憎たらしいです(苦笑)。