『首無の如き祟るもの』(三津田信三/講談社文庫)

首無の如き祟るもの (講談社文庫)

首無の如き祟るもの (講談社文庫)

 『厭魅の如き憑くもの』に続く刀城言耶シリーズ第二弾です。
 本書はとても凝った構成をしています。それは本書の仕掛けにおいてとても重要な役割を占めていますが、だからこそ、少しばかり気になる点があります。それは、「編者の記」の位置です。この「編者の記」は物語を解釈するに当たって大切な部分ですが、その「編者の記」が表題紙や目次よりも前にあるのが気になります。目次より後のページから物語が始まるのが通常のパターンです。とはいえ、だからといってそれが本書の欠点だとか欠陥だとかと主張するつもりはさらさらありません。なぜなら、それは虚実の境を曖昧にする本書のメタ的な仕掛けのために必要な措置だからです。
 本書は、「はじめに」において媛首村で起きた事件を記述するために、事件を外側から眺めていた高屋敷巡査の視点と、内側から眺めていた斧高の視点との二つの視点から交互に語っていくという構成と、そうした構成を採用するに至った説明が書かれています。それは一見するともっともなものに思われますが、メタに読み解きますと、多面的な語りによって騙ろうという作者の試みが読み取れます。実に憎たらしいです。しかも、それがとても効果的かつ有機的に機能しているのでさらに憎たらしいものがあります(笑)。
 連続する首無し殺人。しかもそれは密室とでもいうべき状況下で発生しています。犯人はどうやって密室の中で犯行を行なったのか? なぜ首を切断したのか? そして事件の真相は? 事件の謎は推理の過程において箇条書きにされて整理されていますが、それらの謎がひとつの着想・気付きによってあっという間に解体・解明されていく後半の流れには圧倒されました。
 ただ、それだけに、問題編とでもいうべき事件が発生するまでの物語が、いかに民俗学の本などを元に作られたとはいえ、あまりに人工的過ぎて空疎です。そのため、”ホラーと本格ミステリの融合”という著者の売りを考えるとホラー的要素についてあまりにも内容が乏しくて、もっといってしまえば伝承に真実味がありません。それに比例するかたちでお世辞にもリーダビリティが高いものだとはいえないのが難点といえば難点です。
 ですが、そこを何とかこらえて最後まで読みますと、本書を傑作としてオススメするのに何の躊躇いもありません。シリーズ前作の読者はもとより多くのミステリ読みに是非とも読んで欲しい一冊です。
【関連】
『厭魅の如き憑くもの』(三津田信三/講談社文庫) - 三軒茶屋 別館
第8回本格ミステリ大賞選評 - 本格ミステリ作家クラブ
首無{くびなし}の如き祟るもの  三津田信三 - 黄金の羊毛亭(ネタバレ感想での詳細な検討と単行本版と文庫版での違いなど。緻密な考察に圧倒されます。)
(以下、戯言紛いのネタバレにつき既読者限定で。)
 本書において首は”くび”と”かみ”と両方の読み方があります(本書p20参照)。本書のタイトル『首無の如き祟るもの』を”くびなし”と読むとそれを文字どおり首無し殺人(あるいは首無という怪異)のことを指します。では、”かみなし”と読んだときに浮かび上がってくる意味とは? 私見ですが、それこそが本書のメタ的構成の真価なのだと思います。
 探偵小説におけるかみ=神といえば探偵でしょう。また、小説においてかみ=神といえば作者が該当することになるでしょう。それらの存在が曖昧となり消えていく本書の仕掛けは、まさに”かみなし”の物語だといえます。そして、それは怪異や伝承・俗習といった物語に共通する特性だといえます。つまり、作者・語り手といったかみ=神の存在を無にすることで、人工的な怪異を作り出すことこそが本書の真の目的だったのではないかと考えられます。先に私は本書をホラー的要素に乏しい作品と評しましたが、このように考えますと、本書はむしろホラー的要素の強い作品だと評価すべきなのかもしれませんね。