『どうして羽生さんだけが、そんなに強いんですか?』を『3月のライオン』読者向けにオススメしてみる。

 『どうして羽生さんだけが、そんなに強いんですか?―現代将棋と進化の物語』(梅田望夫中央公論新社)は、ぶっちゃけて言ってしまえば釣りタイトルです*1。著者自身、はじめに「いや、羽生さんだけが強いわけじゃないんですよ」(p7)って述べてますし。ですが一方で、将棋に詳しくない人でも名前を知っている棋士羽生善治であり、その棋士が長年に渡りトップとして君臨し続けているのもまた事実です。巷では「将棋とは、最後に羽生が勝つゲーム」といわれることもあるくらい、ぎりぎりの手に汗握る勝負を繰り広げているにも関わらず、最後の最後に勝つのは羽生……。そんなことが幾度もなく将棋ファンの眼前で起きているのが現実です。
 そんな羽生善治の強さの秘密に、羽生自身の将棋と言葉や、対局相手といった将棋関係者の言葉や視点から迫っていこうというのが本書の意図するところです。本書の発想自体は素人目線で将棋初心者を引き付け得るものなのですが、その内容といったらかなりコアなもので、将棋を知らない人が本書をパラパラ読んじゃうと、パッと見で敬遠されちゃうかもしれません。ですが、落ち着いて読めば、将棋を知らなくてもそこかしこに共感できる部分があると思うのです。
 そんなわけで、当記事では本書を、やはり将棋を知らなくても楽しめるお話として人気の『3月のライオン』読者向けにオススメしてみたいと思うのです。『3月のライオン』において棋界の頂点にいるのは宗谷冬司名人ですが、かつて七冠を獲ったこともあるという経歴からも分かるとおり羽生善治がモデルのキャラクターです。将棋の天才ばかりが集うプロの世界で、何ゆえ宗谷名人だけが抜きん出た存在でいられるのか。そうした観点から本書を楽しんでもらえたら幸いです。
 以下、『3月のライオン』で印象に残る場面・セリフと、それに関連する本書の内容を関連付けてさらっとご紹介。
*2

負けと知りつつ、目を覆うような手を指して頑張ることは結構辛く、抵抗がある。でも、その気持ちをなくしてしまったら、きっと坂道を転げ落ちるかのように、転落していくんだろう。
(本書p84より*3

*4

 羽生さん、怒ってましたよね。せっかく楽しくなってきたところなのになんだよって感じで。投げんなよってことなんでしょうけど。あれ、むかつきますよ、勝ってんのに。
(本書p143より)

 いや、むかつくっていうんじゃないですね。すごいショックなんですよ。羽生さんは、僕に勝ったあと、いつもああいう感じの態度を出されるんですよ。すごい残念そうにするんですよ。
(本書p144より)


*5

 三浦君、得意戦法で叩きのめされて、壊れちゃったっすね。得意の横歩取りでここまで叩きのめされちゃったら……。他の戦型で負けたのならまだしも、自分がいちばん自信を持っている分野で三タコ食らったというのは、相当きついものがあったでしょうね。しかも四連敗でしたしね。その後の竜王戦決勝トーナメントでの阿久津(主税七段)戦(七月九日)の内容とか、考えられないほど不出来でしたよね。投了も早かったし。
 壊れちゃったものが治るか。いやあ、そのへんがなかなか、どうなんすかねぇ……。
(本書p174より)

*6

 著作権のない将棋の世界での競争は、最終的にはいちばん強い者が勝つ、という理想形が貫かれていると思います。若手棋士がそういう強い者になるために、自分が考えたアイデアをトッププロと共有して、そこからの調理のプロセスを学ぶというのは、正しい在り方でしょう。そこには搾取は存在しません。ギブ・アンド・テークが成立し、お互いが得るものがあるフェアな関係と言えます。
(本書p214より)

 下手に解説しちゃうと野暮な気もしますので少しだけ補足を。2つ目の勝ったにも関わらず微妙な表情の宗谷名人。羽生善治「相手が悪手を指すと不機嫌になる伝説」については以前紹介したことがありますが*7、勝った直後に敗者に対して怒りの表情を向ける、というのはやはり特筆すべきエピソードだと思います。それに対して「むかつく」と率直な言葉で表現しているのがその将棋の対局者だった山崎隆之七段ですが、二人の関係に興味のある方はぜひ本書をお読みくださいませ。
 また、4つ目の研究会についての文章ですが、いきなり著作権という言葉が出てきて戸惑う方もおられるかもしれません。これには、

「進歩を最優先事項とするなら、情報共有は避けられない」「権利関係がないおかげで、ここまで急速に発展してる面もある」「『知的財産権をなくした世界はどうなるのか?』というモデルケースとして見てください」
(本書p168より)

という羽生の言葉から、「知のオープン化」と「価値の創出」の両方を同時に模索するインターネットの最先端で起きていることとを説明しようという問題意識が絡んでいるからでもあります。そうした点に興味がある方は、やはり本書をぜひぜひお読みくださいませ*8
 確かに本書は将棋の盤面・棋譜記号がいっぱい書かれてて、将棋を知らない方にとってはかなり専門的な内容なのは否めません。でもでも、それに付随して語られている棋士の将棋に取り組む姿勢や言葉には、それとは別に面白さや魅力がたっぷり詰まっています。『3月のライオン』で描かれている棋士と現実の棋士の姿とをつなぐ補助線としても本書はとても面白く活用できると思います。
 ちなみに、本書についてちゃんとした書評を読みたいという方には以下の各記事をオススメしておきます。
【推奨記事】
http://snow.freespace.jp/Rocky-and-Hopper/Kisho-Michelin/12/978-4-12-004177-8.htm
http://attacco.blog.eonet.jp/default/2010/12/201012-742b.html
将棋観戦記 読書感想文 「どうして羽生さんだけが、そんなに強いんですか?―現代将棋と進化の物語」
『どうして羽生さんだけが、そんなに強いんですか?』書評: 小説的境界線群
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3月のライオン (1) (ヤングアニマルコミックス)

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*1:【参考】どうして「どうして羽生さんだけが、そんなに強いんですか?」という書名にしたんですか? - 梅田望夫のModernShogiダイアリー

*2:3月のライオン』4巻p119〜120より。

*3:正確には『将棋世界』07年5月号からの孫引き。

*4:3月のライオン』4巻p172より。

*5:3月のライオン』5巻94〜95より。

*6:3月のライオン』4巻p88より。

*7:【参考】『3月のライオン 4巻』将棋講座 - 三軒茶屋 別館

*8:ちなみに、若手棋士とトッププロの研究におけるギブ・アンド・テークの関係は、おそらくは『3月のライオン』よりも『王狩』の方が踏み込んで描いてくる・描かざるを得ないのではないかと、個人的には期待しています。