『3月のライオン 5巻』将棋講座

3月のライオン 5 (ヤングアニマルコミックス)

3月のライオン 5 (ヤングアニマルコミックス)

 『3月のライオン』単行本5巻がようやく発売されましたので、今更ながらヘボアマ将棋ファンなりにゆるく適当に解説してみます。

隈倉九段対宗谷名人戦


 図は本書p106から。この△4四角で先手玉は詰みです。柳原棋匠がいう「きっちり17手」の手順は、おそらくは△4四角▲1六玉△2四桂▲同金△1五銀▲同玉△1四歩▲同金△同香▲2四玉△3五龍▲2三玉△2五龍▲1二玉△2二金▲1一玉△2一金まで、というものだと思いますが、これで詰んでいます。
 他の変化として△4四角を▲同金と取った場合は、▲4四同金以下、△3五銀▲1六玉△2四桂▲1五玉△1四歩までの詰み。3五の地点に合駒するのも詰みで、▲3五銀だと以下△3五同角▲同金△1五銀▲同玉△2三桂 ▲2四玉△3五龍▲2三玉△1二金まで。▲3五金打だと以下△3五角▲1六玉△1五銀▲同玉△1四金▲1六玉△3六龍▲2六銀△2五金まで。▲3五飛でも以下△3五角▲同金△1五銀▲同玉△2三桂▲1六玉△1五飛▲2六玉△3五龍まで。
 まさに「全て無効」です。ゆえに投了もやむなしです。
 ちなみに、本局には実戦の元棋譜がありますのでご参考まで。2010年1月18日NHK杯テレビ将棋トーナメント:丸山忠久九段対三浦弘行八段戦がそれですのでご参考まで(93手目の局面。実戦は94手目で△4四角ではなく△3七角成と指してしまっています)*1
将棋の棋譜でーたべーす - 2010年NHK杯テレビ将棋トーナメント:丸山忠久九段対三浦弘行八段戦
 ちなみに、p102の盤面も同じく上記丸山対三浦戦が元棋譜です。85手目▲8三角の局面の後手陣がそれです(盤面を引っくり返して見て下さい)のでご参考まで*2

負けがこんなにも苦しいものだとは

*3

羽海野 ふだんの生活で、勝ち負けがはっきり出るものの経験がないので、将棋をやってみて、びっくりしたんですよ。負けるのに慣れるのに時間がかかりそうだなぁと思いました。(中略)公平に一手一手進めていって、自分で悪くなっていくみたいな…あれはなかなか怖い経験でした。
先崎 しかも、最後に「負けました」と投了する。自分で負けを認めなければいけないっていう野蛮(笑)な慣習があって、驚きますよね。
羽海野 遊びというか、気楽にやっていたはずなのに、「負けました」っていう声が裏返るんですよね(笑)。
先崎学のすぐわかる現代将棋』(先崎学北尾まどか/NHK出版)所収:羽海野チカ×先崎学スペシャル対談”「負けました」は残酷だけど美しい”p208〜209より

 『先崎学のすぐわかる現代将棋』は、『3月のライオン』の将棋監修でありNHK将棋講座で講師を務めた先崎学八段が現代将棋を象徴する戦法である「ゴキゲン中飛車」「石田流三間飛車」「角交換振り飛車」について分かりやすく記した手引書ですが、その本の巻末に先崎八段と羽海野チカの対談が収録されています。そこでは、本書で野口がいっているような負けを認めることの悔しさや苦しさについて語られています。挙句の果てに、負けを認めるのはしんどいので、負けたときにボタンを押すと代わりに明るい声で「負けました」っていってくれる「投了くん」という自動投了機を作ったらいいんじゃね?みたいな話まで飛び出しています。興味のある方はぜひ読んでみればいいと思うよ。

番勝負は恋愛


*4

 同じ相手のことを日常的に考えられる番勝負は好きです。敗れはしましたが、谷川さんとの棋王戦挑戦者決定戦も変則二番勝負で、いい刺激になりました。研究していても「この相手だったらどう指すだろう」と考えるのが好きなのだと思います。対戦相手の好き嫌いはともかく、一人のことばかり考えるという点で番勝負は恋愛に似ているかもしれません。
 絶対的に強い棋士というのは、鏡のような存在だと思います。自分が最高の手を指せば、相手も厳しい手を返してきてくれます。(2冠に後退したとはいえ)羽生さんは今でも最強の棋士だと思っています。羽生さんに比べると自分はまだまだ弱い。ただ、勝ち負けは別です。弱い棋士だって、勝つことはあります。羽生さんとの番勝負で、今の自分の実力を測りたいと思っています。
深浦康市八段に聞く 番勝負は恋愛、対羽生戦で自分の力を測りたい - NIKKEI 将棋王国より

 連続4回挑戦の隈倉健吾九段対宗谷名人の名人戦。二人の関係に妬いちゃう柳原棋匠ですが、番勝負をそのまま恋愛に例えたのが上記の文章です。ある人が腐女子か否かを確かめるのに攻めの反対語は何かと尋ねて「守り」と答えたら一般人で「受け」と答えたら腐女子、というのがありますが、将棋の場合、”攻め”の反対は”受け”です*5。それはあまり関係がないですが(笑)、とにもかくにも番勝負を指すうちに互いに相手の考えてることが分かってきたり、相手への敬意が沸いてくるというのは自然なことなのでしょう。だからこそ、負けたときの反動は相手ではなく自分にすべて返ってくる、というのもあるのだと思います。

自分で自分を調整・修理できる人間しかどのみち先へは進めなくなるんだよ


*6

 三浦君、得意戦法で叩きのめされて、壊れちゃったっすね。得意の横歩取りでここまで叩きのめされちゃったら……。他の戦型で負けたのならまだしも、自分がいちばん自信を持っている分野で三タコ食らったというのは、相当きついものがあったでしょうね。しかも四連敗でしたしね。その後の竜王戦決勝トーナメントでの阿久津(主税七段)戦(七月九日)の内容とか、考えられないほど不出来でしたよね。投了も早かったし。
 壊れちゃったものが治るか。いやあ、そのへんがなかなか、どうなんすかねぇ……。
『どうして羽生さんだけが、そんなに強いんですか?』(梅田望夫中央公論新社)p174より

 「進めば進む程道はけわしくまわりに人はいなくなる。自分で自分を調整・修理(メンテナンス)できる人間しか、どのみち先へはすすめなくなるんだよ」(『3月のライオン』1巻p174より)というのは零が子供の頃に諭された言葉ですが、それはつまりこういうことなのですね。強くなればなるほど、それを作り直す作業が大変であることは容易に想像がつきます。一局一局の将棋だけでなく、そんな棋士の勝負へ臨む姿をある程度のスパンで追い続けるのも将棋の魅力を知るのにはよいと思います。

棋士の勝率

一番強い宗谷名人だって勝率は7割。10回に3回は負けてるんだよな。
(本書p65より)

 将棋は完全情報ゲームで基本的に勝つか負けるしかありません。なので勝率5割が当たり前で6割あれば一流といわれています。そんな中にあって宗谷名人の勝率7割という数字は、将棋を知らない方であれば意外に思われるかもしれませんが、やはり驚異的といわざるを得ません*7。勝率5割から抜け出るためにプロ棋士は日々戦い続けているといえます。
【参考】勝率5割から抜け出すために。- 三軒茶屋 別館

火の玉みたいに……

気にせんでも、もとよりここは鬼の棲家
火の玉みたいに傲慢で気の強い人間しかおらんのにな
(本書p131より)

 と仰ってる有本九段ですが、そんな有本九段のモデルは猛烈な攻め将棋で「火の玉流」と恐れられた有吉道夫九段です。
【参考】有吉道夫 - Wikipedia

将棋図巧

 表紙カバー絵で零が読んでいるのは『将棋図巧』です。

詰むや詰まざるや―将棋無双・将棋図巧 (東洋文庫 282)

詰むや詰まざるや―将棋無双・将棋図巧 (東洋文庫 282)

 『将棋図巧』は江戸時代の天才的詰将棋作家・伊藤看寿によって作られた詰将棋の作品集です。4巻37話には図巧93番が出てきていますのでご存知の方もおられるかと思いますが、興味のある方は是非。
【参考】『3月のライオン』と『ハチワンダイバー』と詰将棋 - 三軒茶屋 別館


 以上ですが、今回は解説記事になってなくて本当にすいません。ご意見等(特に作中の盤面についての情報など)ございましたらお気軽にコメントいただければ幸いです。ばしばし修正しますので(ペコリ)。
【関連】
・当ブログ解説記事 1巻 2巻 3巻 4巻 6巻
羽海野チカ×先崎学スペシャル対談収録『先崎学のすぐわかる現代将棋』(先崎学・北尾まどか/NHK出版) - 三軒茶屋 別館
『どうして羽生さんだけが、そんなに強いんですか?』を『3月のライオン』読者向けにオススメしてみる。 - 三軒茶屋 別館
「将棋は本当に楽しいです。昨日負けた私が言うのですから、間違いないと思います」 - 三軒茶屋 別館
先崎学のすぐわかる現代将棋 (NHK将棋シリーズ)

先崎学のすぐわかる現代将棋 (NHK将棋シリーズ)

*1:コメント欄にてはずさんにご教示いただきました。どうもありがとうございます(ペコリ)。

*2:同じくコメント欄(とTwitter)にてご教示いただきました。どうもありがとうございます(ペコリ)。

*3:本書p58〜59より。

*4:本書p68〜69より。

*5:【関連】将棋とやおいと攻めと受け - 三軒茶屋 別館

*6:本書p94〜95より。

*7:ちなみに、実際の将棋界で2011年1月8日時点で100局以上指して通算勝率が7割を超えている棋士羽生善治名人と豊島将之六段の二人しかいません。