二歩がウケる理由

 将棋の対局で二歩を打ってしまった佐藤慎一四段がその詳細をブログに記しています。
その詳細‐サトシンの将棋中心日記
 二歩とは将棋における禁じ手・反則のことで、同じ縦の筋に二枚目の歩を打つことをいいます(参考:二歩 - Wikipedia)。極めて初歩的な反則なので、プロが二歩を打ってしまうということは敗北以上に恥ずかしいことですが、そんな二歩の実体験と心境を率直に語ってくれている佐藤四段の記事は将棋ファンとしてとてもありがたいですし、その内容はとても興味深いです。
 二歩とは確かに初歩的な反則ではあるのですが、プロの対局で決して他に例がないというわけでもありません。そんな二歩の将棋としてもっとも有名なのがこの将棋です。

将棋の棋譜でーたべーす:豊川孝弘対田村康介
 2004年にNHKテレビ将棋トーナメントの番組で放送された将棋です。初のテレビ将棋での二歩ということで将棋ファンの間ではかなりの反響を呼びました。その後『トリビアの泉』で紹介されたことによってお茶の間の話題にもなり、ネット上に二歩を打つ場面の動画がアップされたりもしました。ちなみに、この将棋はテレビドラマ『相棒』でも元ネタとして使われています
 テレビでの二歩はこれだけではありません。なんと翌2005年のNHKテレビ将棋トーナメントでも再び二歩が放送されてしまいます。

将棋の棋譜でーたべーす:先崎学対松尾歩
 二度目ということもあって最初のときほどのインパクトはありませんでしたが、それでもやはり話題にはなりました。また、皮肉にも二歩を打ってしまった棋士の名前が”歩”ということもあり、将棋ファンの間では今でも冗談のタネとして使われることがあります。お気の毒としかいいようがありません。
 NHKテレビ将棋トーナメントは基本的には録画放送です。ですが、録画ではない公開対局で二歩を打ってしまった将棋もあります。

将棋の棋譜でーたべーす:郷田真隆対佐藤康光
 終盤の熱戦の最中、将棋に集中して周りの視線など意識になかったと思いますが、それでも、衆人環視の中で二歩を打ってしまった棋士の心中を想像すると背筋が凍ります。
 二歩とはこのようなものですが、上述のように『トリビアの泉』などのバラエティ番組のネタにされたりしています。その可笑しさや恥ずかしさといったものは、将棋ファンだけでなく、将棋に特に詳しくない方の琴線にも触れる”何か”があるみたいです。実際、『トリビアの泉』でも馬鹿ウケしてました。そんな”何か”が私にはとても気になります。
 二歩を打ってしまったときの微妙な空気。二歩を打ってしまった棋士の恥ずかしさと打たれた棋士の困惑。熱戦が反則によって唐突に終わってしまったことの不条理な衝撃。完全無欠のはずのプロが素人級の過ちを犯してしまったことの可笑しさ。ソフトよりも強いプロがソフトでは絶対に犯さないミスで負けることによって表出する人間味。そういったものが、二歩を打ってしまってから僅かのシーンに濃縮されています。そうしたものを感得するのに棋力の有無は関係ないということなのでしょう。
 加えて、それまでルールのなかで複雑に何が最善なのか分からないままにごちゃごちゃとやっていたものが、誰の目にも明らかな単純明快な反則によって決着する妙なカタルシスというものもあると思います。『シリコンバレーから将棋を観る羽生善治と現代』(梅田望夫中央公論社)という本があります。この本は「指さない将棋ファン」という存在を肯定し、棋力に関係なく将棋を観ることの楽しさを奨めている本です。本書には梅田望夫羽生善治の対談が収録されていますが、その中に、梅田が竜王戦第七局を観戦したときの感動を羽生に伝えた上で、さらに次のようなことを述べています。

梅田 ところが、そんなふうに言うのをはばかられる雰囲気が、将棋の世界にはありますね。だって「じゃあお前、指してみろよ」と言われたら、指せないわけですから(笑)。「いったいどこに感動したんだ」と問い詰められれば、言葉が浮かばない。……でもね、たとえば絵画なら、自分で絵が描けなくても「感動した」と言う自由が許されているわけです。システィーナ礼拝堂の「最後の審判」を見て感動した、と言って「おまえ、描けないだろう」とは言われないですよね。将棋を観て感動したと言うと「え、君どれくらい指せるの」となる。(笑)
(本書p236より)

 棋力があるからこそ理解できる事柄はたくさんあります。ですが、それとは別の感動とか面白さも確実にあります。そうしたものを、観る人の棋力の有無によって切り捨てるのはとても勿体無いことですが、しかしながら、そうした雰囲気があるのもまた確かです。なので、将棋の弱い人*1が将棋を見て何か思ったとしても、それを口には出しにくいというフラストレーションも生まれるのでしょう。ですが、二歩は誰の目にも分かる反則です。たとえ知らなかったとしても、その場で「同じ縦の列に二枚の歩が並んではいけない」という形を教えてもらえればすぐに理解できる反則です。なので、「何やってんだよー」と呆れて笑うことが誰にでもできるのです。
 将棋には二歩の他にも”打ち歩詰め”や”千日手順における連続王手”といった反則があります。しかし、二歩ほどインパクトのあるものは他にはないでしょう。それはつまり二歩がひと目で分かる”形”の反則であり、そして、”形”を見て楽しむことは棋力の有無に関わらず誰にでもできる、ということなのだと思います。
 二歩を打ってしまったプロの恥ずかしさは想像に難くありません。ですが、その二歩を棋力に関係なく多くの人が楽しめるということは、将棋にはそれだけ大衆文化としての魅力と可能性があるということをも意味しています。なので、あまり気になさらずに(笑)。

シリコンバレーから将棋を観る―羽生善治と現代

シリコンバレーから将棋を観る―羽生善治と現代

*1:ってかプロからすれば大抵の人が弱いわけですが。