『音もなく少女は』(ボストン・テラン/文春文庫)

音もなく少女は (文春文庫)

音もなく少女は (文春文庫)

 読者諸賢へ
 わたしは殺人の隠蔽工作の手助けをしました。嘘の上塗りをする手助けもしました。自分の人生、宗教、職業が否定していることをしました。しかし、そのためにこそより幸福になれました。
 しかし今、わたしは真実をあなた方に語る手助けをするよう頼まれました。その真実の背景にある物語を記録にとどめ、決定的瞬間に行き着いたその女性の人生の詳細をつまびらかにするようにと。
 すべてがわたしに任されていたら、わたしは何も語らなかったでしょう。残念ながら、しかし、わたしはこのドラマでは、三人目の犠牲者が現われたあとからすべてを知った端役にすぎません。それでも思わないわけにはいきません。運命が試練を課したのがこのわたしだったら、果たしてわたしには銃を撃つ勇気があったかどうか。
(本書p8より)

 ある人物の殺人幇助の告白から始まる本書は、ミステリとしては倒叙形式に準じたお話であるといえます。だからこそ、本書は犯人は誰かという単純な犯人当てゲームではなくて、そこに至るまでの過程・苦悩と葛藤と、さらには、単純に彼女を犯人と読んでしまってよいのかという部分にまで深く踏み込まざるを得ないことになります。
 本書カバー折り返しの著者紹介欄にて本書は自伝的作品と評されているのですが、あいにく私は著者について詳しくないので、本書がどれだけ著者の人生を反映した内容となっているのかは分かりません。ですが、本書には確かに自伝的といえるだけのリアリスティックな要素があります。物語の始まりは1950年のニューヨーク。母クラリッサと父ロメインの間に生まれた聾者の少女イヴ。本書の主人公はイヴですが、母クラリッサとその友人となる女性フランもとても重要な役割を担っています。女性であり聾者であり父親に虐げられているイヴは、典型的社会的弱者であるといえます。そうした社会的役割は物語の序盤において彼女の母親クラリッサに主に象徴されています。そして、そんな彼女に勇気と生きるための知恵を授けるのがフランです。フランもまた過酷な運命を背負った女性ですが、だからこそ、クラリッサとその娘イヴに惜しみない友情と愛情を捧げます。3人は運命共同体としての生活を築きます。
 聾者であるイヴはフランの助けによって手話の教育を受け、そして写真と出会います。ハンデを抱えながらも日々を過ごし幸せを掴み取ろうとする彼女の姿は、アメリカで1970年になって起きた障害者自立生活運動(IL=Independent Living)の先触れとして理解することができます。なので、本来であれば本書はそうした背景を有する社会派の物語であることをより強調してもよいと思うのですが、しかし、本書の描き方は違います。あくまでもその時代を生きた女性の生き様を描くことに終始しています。
 クラリッサとイヴとフランといった彼女たちが抱える困難と絶望からして、ともすれば本書をノワール暗黒小説 - Wikipedia)として紹介したくもなります。それくらい彼女たちの人生は過酷です。しかし、耳が聞こえない主人公イヴを通じて物語を見る世界だからこそ、本書の世界を黒一色のものと決め付けるわけにはいきません。そこにはやはり様々な色が広がっていますし、彼女たちもまた鮮やかな色を発しています。本書はそんな女性たちの自立の物語であると同時に共生の物語でもあります。シンプルながらも濃密な物語が読みたい方にオススメです。