『扉は今も閉ざされて』(シェヴィー・スティーヴンス/ハヤカワ文庫)

扉は今も閉ざされて (ハヤカワ・ミステリ文庫)

扉は今も閉ざされて (ハヤカワ・ミステリ文庫)

 後味のわる〜い推理小説、「イヤミス」が売れている。このご時世に、なぜ。
http://digital.asahi.com/articles/TKY201203230659.html

 わたしことアニー・オサリヴァン精神分析医に語る自らの体験談。それは、見知らぬ男によって拉致され山小屋に監禁されて、暴力と歪んだ欲望にさらされた日々だった。永遠に続くかと思われた地獄から生還したアニーであったが、悪夢は今も続いていた。さらに、思いもよらぬ残酷な真実が明らかとなって……といったお話です。
 ヒロインの名前であるアニーは、やはり主人公が監禁される恐怖の日々を過ごすことになる傑作ホラー『ミザリー』(スティーブン・キング/文春文庫)の監禁犯であるアニーを想起させます。もっとも、『ミザリー』のアニーは監禁する側ですが、それでも本書の主人公の名前がアニーなのは『ミザリー』へのちょっとしたオマージュだからだと思います。
 本人がすでに起きた体験談を語るという設定なので、主人公が拉致監禁状態から脱出すること自体は最初から明らかとなっています。ゆえに、結果をめぐってのサスペンス性はありません。とはいえ、主人公が〈サイコ男〉によってどんな目に遭わされ、それによってどのように壊れていって……といった過程について興味が当たる構成となっています。そうした体験を被害者である主人公自身に語らせるという設定はまさにドSです。これだけ酷い目に遭っているにもかかわらず、その後には何ともいえない結末が待っていて……。何といいますか、女性が女性のために女性を酷い目に遭わせるお話を描いたんじゃないかと思ってしまいます(苦笑)。

 さて、はっきりしたところで、お楽しみが始まる前にルールを作っておきましょう。わたしが話したいように話す。質問はなし。よくある、”その時、あなたはどう思ったか”もなし。これから、順に話すわ。あなたに何か言って欲しいときには、そう言うから。
 ああ、あなたが何か訊きたくなった時? わたしだって、そこまで意地悪じゃないわよ。
(本書p9より)

 本書の聞き手は、一義的にはアニーのカウンセリングを担当する精神分析医ですが、上記のように、精神分析医の見解が入ることはほとんどありません。まさにアニーが話したいときに話したいように話しています。レイプされたときの直接的な描写などは避けられていますが、描かずともそれがどんなにか苦痛であったかは伝わってきます(そうした描写や情景を想像できてしまう年齢の読者向け作品であることはお断りしておきます)。語られることが地獄であるならば、語られないことはより地獄です。
 異常な犯罪を描いた物語の大半が、その犯罪者の異常性に焦点が当てられた犯罪者の物語です。本来であればもっとも尊重されなければならない被害者は、そこでは脇役に過ぎません。ですが、本書は違います。異常な犯罪者によって人生を狂わされた被害者の物語です。犯人は脇役に過ぎませんし、その異常性もありていに言ってどうでもいいです。自らが受けた理不尽な苦痛と異常な体験談を、他者に伝わるように客観的であろうとし、ときには無理にユーモアをまじえつつ、主人公は語ろうとします。本書は被害者による被害者の物語なのです。たとえ面白いと思っても、面と向かって他人に「面白かった」とはいえない類いのお話です。