『カーデュラ探偵社』(ジャック・リッチー/河出文庫)

カーデュラ探偵社 (河出文庫)

カーデュラ探偵社 (河出文庫)

 カーデュラ(Cardula)という名前は、いわずとしれたドラキュラのアナグラムであると同時に、吸血鬼カーミラの韻を踏んだものです。その名から明らかなように、探偵カーデュラは吸血鬼です。
 もっとも、吸血鬼なのは明らかでも、作中でカーデュラが吸血鬼であるという描写はほとんどありません。霧になるとか蝙蝠に変身するとかそういった場面は描写されることなくすっ飛ばされて物語は進められますし、そのことについて特に説明はありません。その一方で、事件解決のために必要な事柄は描写されますし説明もされます。ミステリとしては後者が大事ですが、よくよく考えれば吸血鬼の存在のほうがよっぽど一大事です。そんな奇妙な価値観の転倒が、本書の読後感をも奇妙なものにしています。
 吸血鬼であるがゆえに、カーデュラの生活や捜査には制約があります。その再たるものが当然のことながら日光で、彼の活動時間は自ずと夜間に制限されます。その一方で、吸血鬼であるがゆえの特殊能力を駆使した捜査も行われます。霧になればどんな密室でも自由に入れますし、その身体能力は向かうところ敵なしです。そんなトリッキーな探偵としての活躍ぶりも本書の魅力のひとつです。
 カーデュラものの収録作は、番外編ともいえる「キッド・カーデュラ」からはじまり「カーデュラ探偵社」「カーデュラ救助に行く」「カーデュラと盗難者」「カーデュラの逆襲」「カーデュラ野球場へ行く」「カーデュラと鍵のかかった部屋」「カーデュラと昨日消えた男」となっています。
 本書はミステリというよりハードボイルドの近い読み口です。吸血鬼であるカーデュラは依頼人のために仕事をしつつ、ときに世間一般の倫理観では許容されることのない彼独自の倫理観で事件の解決を図ります。そんな決断を苦悩の末に下すのではなく、なんでもないことのようにさらっと実行するのが面白いです。ダークヒーローっぽいところがあります。とても洒脱で粋な作品集です。
 本書はこの他にもノンシリーズ短編が収録されています。
 「無痛抜歯法」。並び的に吸血鬼ものと思われそうですが全然違います。白昼堂々と行なわれる金庫の運搬作業。ただひとりの子供だけが犯罪ではないのかと父親に訴えるが……。「いい殺し屋を雇うなら」は、殺し屋のもとに自らをターゲットとした依頼が舞い込みます。「くずかご」。オフィスのくずかごに生首が入っているのに気づいたら、あなたならどうします? 「さかさまの世界」。保険金殺人ですが、その手段よりも犯人像に焦点が当たってからの読み応えが抜群です。
 そして、「トニーのために歌おう」。殺人を犯したトニーが自らの罪を減刑するために考え出した手筋(コンビネーション)は実に意外なもので、弟のジミーはそれを実行に移しますが、その指し手が予想外の展開をみせます。ところどころに出てくるチェスを指す場面がとても効果的で印象に残ります。チェスはリッチーの趣味らしく、チェスアンソロジー『モーフィー時計の午前零時』(若島正・編/国書刊行会)にもリッチーの「みんなで抗議を!」という作品が収録されていますが、チェス小説としても本作のほうが上だと思います。
 幾多のアイデアが惜しげもなく投入されたクライムノベル短編集です。オススメです。
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