『十津川警部 アキバ戦争』(西村京太郎/徳間文庫)

十津川警部 アキバ戦争 (徳間文庫)

十津川警部 アキバ戦争 (徳間文庫)

「これから、おまじないをしますからね。そうすると、コーヒーもオムレツも、一層おいしくなるんですよ」
 といい、急に、手をかざしながら、
「萌え萌え」
 と、大声を出した。
 衣川が、ただ、笑って見ていると、
「衣川先生も一緒に、おまじないをいってください」
(本書p26より)

 メイド喫茶で亡くなった娘にそっくりのメイド・明日香に出会った日本画家の衣川。衣川は明日香と幸せなひとときを過ごすが、その翌日、何者かによって明日香が誘拐される。犯人の要求は身代金1億円。連絡を受けた十津川警部は捜査を開始するが……。といったお話です。
 トラベルミステリーとしていろんな場所を舞台としている西村京太郎の十津川警部シリーズですが、今回はタイトル通りアキバとつくばエクスプレス、つまりは秋葉原を主な舞台とした物語です。誘拐ミステリとしての出来栄えは、ハッキリいってどうしようもありません(苦笑)。ここはやはり、本作刊行時に78歳*1だった著者が「オタクの街アキバ」をどのように捉え、どのように描いているかを素直に楽しむ、つまりは全力で釣られるのが正しい読み方というものでしょう。
 アキバの(元)メイドさんが誘拐されたということで、刑事たちも当然アキバで怪しい人物の探索を行なうことになります。しかし、刑事たるもの、怪しい人物を追いかけるのに自らが怪しまれるようなことがあってはなりません。そこで、

「あの似顔絵は、頭に、叩き込んであるだろう?」
「ええ、もちろん」
「じゃあ、それを、思い出しながら、アキバの街を、適当に歩き回って、みようじゃないか。ひょっとすると、似顔絵の男に、会えるかもしれないからな」
 三田村は、そういうと、下の階に戻り、そこで、可愛い女の子の顔が、描かれた、大きな抱き枕を、買った。
「これを抱えていれば、刑事とは思われないだろう」
(本書p154より)

 はい。間違いなく刑事とは思われないでしょう。で、女性の刑事の場合には、

「私は、どうしたらいいの? そんな抱き枕なんて持ちたくないわよ」
 早苗が、いうと、三田村は、いつ買ったのか、自動販売機で売っている、ラーメンの缶詰を、早苗に押しつけた。
「これを食べるわけ?」
「いや、手に、持っているだけでもいい。このアキバに、やって来る人間は、たいてい、自動販売機で、缶詰のおでんか、このラーメンを買うんだ」
 と、三田村がいった。
(本書p154〜155より)

 これまた完璧です。読者もまったく疑問に思うことはないでしょう*2
 で、捜査が進むにつれて、誘拐された明日香の熱烈なファンであった三人、”オタク三銃士”が怪しい人物として浮かび上がってきます。彼らはいったい何を考えているのか?刑事たちは彼らの思惑を図りかねます。

「しかしだね、彼らは、われわれ警察に対して、そんなことは、何もいっていないし、警察に、協力しようともしないよ。人命がかかっているのに、なぜ、協力しようとしないんだろう?」
「前から、警察に対して、含むところがあるのかも知れません(後略)」
(本書p246〜247より)

 いやだなぁ。オタクが警察に対して含むところなんてあるはずないじゃないですか。
【参考】警察官による職務質問としての「おたく狩り」(おたく狩り - Wikipedia)
 というわけで、本書で描かれているアキバあるいはオタクというものにはどうしようもないズレ・違和感があります。しかし、「だったらお前が正しいアキバやオタクを描いてみろよ」といわれるとなかなかの難題なのは確かです。それに、本書は十津川警部シリーズですので、当然のことながら警察の目線でアキバやオタクというものが描かれているのですが、実際の”お上”が抱いているアキバやオタクのイメージも案外こんなものではないのかなぁと思うのです。そう考えると、本書で描かれているアキバ像やオタク像というものを単純に笑い飛ばすわけにはいきません。むしろ、本書に登場するオタクが単純な善人にも悪人にも描かれていないところに、それなりの配慮・苦慮が垣間見えるようにも思います。いろんな意味で微妙な読後感の残る一冊でした。

*1:本書は2008年5月に徳間ノベルスから刊行されたものの文庫版です。

*2:どうでもいいですが、本書は読点が多すぎると思います。