『悼む人』(天童荒太/文藝春秋)

悼む人

悼む人

 彼の名前は聞きそびれました。だからわたしは、〈悼む人〉と呼んでいます。
 彼のことが知りたいです。あのときもですけど……時間が経つごとにいっそう、彼のことをどう考えればいいのか、わからなくなってきたのです。
 彼はいまどこですか。何をしていますか。なぜあんなことをしているのでしょう。いまもああした行為をつづけていますか。何が目的ですか。
 〈悼む人〉は誰ですか。
(本書p11より)

 第140回直木賞受賞作品です。
 〈悼む人〉とは、作中の人物でいえば坂築静人のことですが、仕事とも宗教とも無関係に各地を回ってはひたすら人の死を悼んでいます。悼むとはどういうことなのか? 彼はなぜそんなことをしているのか? といったことは作中において語られますが、それは必ずしも一貫したものではありませんし矛盾もしています。そのことは彼自身も承知の上です。欺瞞や偽善といわれても彼は否定しません。病気のようなものだと自覚しながらも彼は死を悼む旅を続けます。
 一見すると突飛な人物設定に思われるかもしれません。いや、突飛なことには間違いなくて、いくら作中で説明されようとも私には静人の生き方を理解することなどできません。しかし、日頃テレビやマスコミといったメディアに接し続けていますと、事件事故病気といった様々な原因による様々な死というものが情報として常に私たちの身近にあります。つまり〈悼む人〉とはそうした死に接し続ける私たちの日常の一面が強調されたいわばパロディのような存在だといえます。そうかんがえると、静人の生き方を理解不能の一言で切り捨てることもできかねるでしょう。
 情報として日常的かつ身近にある死。しかしそれは私たちが物心ついた頃からあります。そして、私たちはそうした情報を適当に受け流すことに慣れきっています。そうした当たり前な心の動きというものについて、本当に当たり前なのか? 当たり前でいいのか? ということを再認識して再確認するといった自問自答のための装置として、本書はなかなかに面白い本だと思います。ただし、世の中には知らない方が楽に生きていられるということもあるわけで、そういう意味では本書は面倒くさいものだともいえますので、ご注意を(笑)。
 本書は主に3人の視点から語られます。契約記者として殺人や愛憎絡みの事件を読者向けの扇情的な”記事”に仕立て上げることを生業とする蒔野。癌のため余命わずかな静人の母親・巡子。自らの夫を殺した罪で服役。出所後にふとしたきっかけで静人の旅に同行することになる倖世。3人の視点から語られる〈悼む人〉静人。死とは何か? だけでなく、死を思うとはどういうことか? という「死を思う人」までをも問題の射程に捉えているだけに、本書は「死なんて死んでみなければ分からない」といった開き直りでは逃げることのできない重苦しさ・辛気臭さに満ちています。
 お話としては面白いとはいい難いですが、いろいろと考えさせられるという意味では面白い一冊だといえるでしょう。
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