ミステリと恋愛についての駄文

少女ノイズ (光文社文庫)

少女ノイズ (光文社文庫)

 表題の件について少々考えてみました。

含羞としてのミステリ・恋愛

 『少女ノイズ』(三雲岳斗/光文社文庫)の解説で有川浩が次のようなことを書いています。

 要するに三雲岳斗はミステリにかこつけて二人の恋を書きたかったのだと私は思っている。
 恋愛物のイメージが強い私でさえ、恋愛「のみ」という作品は書いたことがない。私は恋愛を取り回すために「自衛隊」とか「怪獣」と「雑草」とか恋愛とかけ離れたギミックをぶち込むのだが、この場合、私にとって「自衛隊」その他が含羞である。真っ向勝負で恋愛物は腰が退けるけど、自分の得意分野である自衛隊をぶち込んでおけば照れずに取り回せるという寸法。
 同じように『少女ノイズ』においてのミステリ要素は三雲岳斗の含羞ではないかと思うのだが、この見立てはいかがなものだろうか。
(『少女ノイズ』解説p346より)

 ヴァン・ダインの二十則ヴァン・ダインの二十則 - Wikipedia)に「不必要なラブロマンスを付け加えて知的な物語の展開を混乱させてはいけない。ミステリーの課題は、あくまで犯人を正義の庭に引き出す事であり、恋に悩む男女を結婚の祭壇に導くことではない。」というのがありますが、実際には程度の差こそまちまちなれど、ミステリとラブロマンスの両方が展開するストーリーというのは多々あります。
 ひとつには、両者がかけ離れたものであるがゆえに、恋愛を照れずに取り回すためのミステリ的展開、あるいはその反対に、ともすれば非現実的なものになりがちな知的物語を素知らぬ顔して語るのにも実は含羞があって、それを照れずに取り回すためのギミックとして恋愛がぶち込まれている、という側面もあると思うのです。二十則は否定してるみたいですが、恋愛要素の付加によるドタバタコメディ的展開などはその好例だといえるでしょう。そんな相互依存の関係がミステリと恋愛にはあるのだ思います。

過去を描くミステリ、未来を描く恋愛

 『嘘つきは姫君のはじまり―東宮の求婚』(松田志乃ぶ/コバルト文庫)にはこんな一文があります。

(怖がらず、自分に嘘をつかず、奇妙なこの運命に決して押し流されてしまわぬように……。わたしの恋が、そのまま、わたしの未来になる)
(『嘘つきは姫君のはじまり―東宮の求婚』p103より)

 思うに、ミステリは過去に何があったのかを明らかにする物語であるのに対し、恋愛物は未来を描く物語だといえます。なのでミステリに恋愛要素を持ち込めば前向きな物語にすることができます。また、恋愛物において、好きな人の過去はどうでもいいと言っても気になるもので、そうした人物の過去を描くのにミステリ的展開はとても便利だといえます。こうした時間的関係において両者は互いを補い合う関係にあるといえるでしょう。

動機としての恋愛

 ミステリにおける殺人事件などの動機としての恋愛要素を見逃すわけにはいきません(この場合は二十則では否定されないと思いますが)。もっとも、ミステリではときに「動機なんか知らない。どうでもいい」というスタンスの探偵役もいたりします。素人探偵ならそれでもよいでしょう。しかし、事件を立件して裁判所での訴訟に耐えられるだけの証拠を集めなければならない警察官などの立場からすれば、動機を解明する作業を疎かにするわけにはいきません。なぜなら、殺人と殺人未遂は行為の外形・危険性において差異がない場合があります。そうした場合に両者を区別するのは故意の有無といった内面的要素にかかってきます。また、量刑を判断する上でも動機は非常に重要です。そのとき、「事件の影に女あり」ではありませんが、恋愛要素は動機として典型的なものだといえるでしょう。
 ミステリと恋愛はこうした関係にあるんじゃないかなぁというようなことを思ったりしました。