『殺す者と殺される者』(ヘレン・マクロイ/創元推理文庫)

殺す者と殺される者 (創元推理文庫)

殺す者と殺される者 (創元推理文庫)

 図書館は自伝をフィクションとして分類すべきだ――わたしはかねがねそう思っていた。われわれは心ならずも自身の人生の半分以上を忘れてしまう。胎児のころのこと、揺籃期、子供時代の大かた、成人後の日々の労苦のかなりの部分を。精神分析医は、人間は自分の覚えていたいことだけを覚えているのだと言う。これはフロイト派の多くの説より真実に近いのかもしれない。
 それゆえ読者よ、ご注意を! 昔から、他の人々に比べ相当記憶力がよいほうだと思ってはいるものの。わたしも人の子なのだ。この回想録は結局、完全無欠な真実ではなく、わたしの記憶にある真実から構成されているにすぎない。
(本書p8より)

 私はトリックの沿革などにはとんと疎いのでよく分かりませんが、それでも、本作が刊行されたのが1957年とのことであれば、やはり本書で用いられている着想・トリックはミステリとして源流・もしくはそれに近いものに位置付けられると考えてよいのではないかと思われます。
 その着想は、今となってはありきたりなものです。しかし、だからといって本書を「古典」の一言で片付けてしまうのは早計に過ぎます。ひとつには、古典には古典ならではの良さがあるということです。今日であれば、このトリックを用いるに際してこれ程までに周到で念の入った準備がなされることはまずないでしょう。それ程までに陳腐なアイデアとなってしまっているのが実情です。しかしながら、本来であればこれくらい丹念に練られたプロットの元に用いられた方が映えてくるアイデアなのは間違いないでしょう。本書は、心理学者を主人公とすることによって心理や記憶、精神状態、人格などについての楔が要所要所に打たれています。意識についての外堀を少しずつ着実に埋めることによって、本書の着想が十分に活きるよう巧みな配慮がなされています。
 とはいえ、本書の真価はその先にあります。本書巻末の解説でも述べられていますが、本書においてはその真相が明らかになる場面すら、実は”通過点”に過ぎないというのは強調されてしかるべきでしょう(なので、途中で真相に気が付いたからといって読むのをやめないでくださいね。絶対に損ですから)。極めて初期の作品であるはずなのにそこまでの境地に達し、さらには最後の1ページに驚愕と悲哀に満ちた結末を用意する。まさに圧巻の読み応えです。
 さらに付け加えるならば、『殺す者と殺される者』というタイトルに象徴されているように、様々な要素を二項対立・表裏の関係に収束させている点も巧みです。本書の登場人物のひとりであるアラバン判事は警察本部長でもあります。この配役によって、通常の裁判における三角形の構図が二項対立の構図へと変化しています。心理という複雑で厄介なものを題材として扱っているにも関わらず、物語としては主人公の選択肢は容赦なく狭まり追い詰められていきます。
 心理サスペンスの古典として押さえておきたい一冊なのは確かですが、それ以上に、単純に読んで面白い傑作として強くオススメの逸品です。