『容疑者Xの献身』(東野圭吾/文春文庫)

容疑者Xの献身 (文春文庫)

容疑者Xの献身 (文春文庫)

 本書は第6回本格ミステリ大賞や第134回直木賞などの賞を受賞している超人気作なわけですが、ついには映画化までされて(参考:映画公式サイト)2008年10月4日から公開と、本格ミステリとしては異例の知名度を誇っている作品です*1
 本格ミステリ大賞受賞作品が映画化されるなんてことは滅多にないだろう思って映画を観てきたのですが、かなり原作に忠実に作られていたのでミステリ好きの既読者としてまずは安心しました(笑)。本書のメイントリックは正直映像的なものではないので、それを映画化して果たして上手くいくのかという不安がなきにしもあらずだったのですが、杞憂でした。
 ただ、すべてがすべて原作どおり再現されていたというわけではもちろんなくて、犯人が施した細部の工夫についての説明など端折られている箇所はあります。また、映画を観終えた後でも狐につままれたような気分になっている方もおられるかと思います。そうした方には是非原作を読んで確認して欲しいと思います。
 ということで、以下は原作小説について既読者限定で。

「難しくはありません。ただ、思い込みによる盲点をついているだけです」
「盲点、ですか」
「たとえば幾何の問題に見せかけて、じつは関数の問題であるとか」
(本書p272より)

 本書の構造を一言で表せば、上記引用の石神のセリフに尽きるでしょう。アリバイトリックと見せかけて実は死体の入れ替えトリックという大技。顔のない死体が出てきたら死体の入れ替えを疑え、というのは確かにミステリ読みとしては常識的な事柄です。特に古典の場合には必須といってよいでしょう。しかし、この入れ替えトリックも科学の発展によって廃れていきました。なぜなら、いくら顔をつぶし指紋を消しても、DNA鑑定によってたちまち身元は判明してしまうからです。ところが、本書で用いられている入れ替えトリックは、DNA鑑定という科学技術の前提がなければ成り立ち得ません。つまり、古きトリックを新しい形で甦らせることに成功したわけで、そこに着想の輝きと盲点があります。
 一方で、本書はメタレベルでの盲点をも突いてきます。倒叙ミステリと見せかけて実は叙述トリックというのがそれです。
 倒叙ミステリとは通常のミステリで多用されている探偵側の視点(=謎を解く側)からではなく、犯人側の視点(=謎を提出する側)からの視点で描かれるミステリのことです*2

「P≠NP問題というのは当然知っているよな」湯川が後ろから声をかけてきた。
 石神は振り返った。
「数学の問題に対し、自分で考えて答えを出すのと、他人から聞いた答えが正しいかどうかを確認するのとでは、どちらが簡単か。あるいはその難しさの度合いはどの程度か――クレイ数学研究所が賞金をかけて出している問題の一つだ」
(本書p117より)

 本書では、このように数学の問題に探偵と犯人の関係が仮託されています。それはまた読者と作者との関係でもいえることでもあります。
 騙されている立場からではなく騙す立場から見るミステリという視点の切り替え。そこには、舞台裏という特等席から舞台をのぞいているようなお得感と安心感があります。しかしながら、そこに罠が隠されています
 石神の仕掛けた死体入れ替えトリックに対して、登場人物たちと一緒に読者も騙される。これだけなら普通のミステリと同じです。しかし、倒叙ミステリという、普通なら読者を騙すはずがない構図においてなお読者を騙す罠が仕掛けられていることで、トリックと真相への驚きが増幅されています。実に心憎い趣向です。
 こうしたトリックを仕掛けることができた背景には、第一の事件の真犯人である花岡母娘にも伏せておかなければいけない真相、つまりは第二の事件を犯してしまったという点にあります。事件を迷宮入りさせるという消極的解決だけではなく、それが難しいと判断したら自らが真犯人と名乗り出ることで事件を終わらせるという積極的解決まで用意していたからこそ、秘密の隠蔽が合理的な見地のみならず心情的にも自然なものになっています。
 フェイルセーフとでもいうべき策を講じたことによって、”献身”という小説的なテーマが生み出されているのが面白いです。どれだけ人工的で歪んだ動機であっても、愛という理屈ではないブラックボックスがそれを容認可能なものにしてくれています。愛って便利な言葉ですよね(笑)。
 『容疑者Xの献身』を巡る「本格」論争などというものもありましたが、私としては一定以上の水準を満たしている傑作だと思います。本書の本格ミステリとしての評価について興味のある方は、本格ミステリ大賞における投票者の選評が参考になるかと思われます。また、本書トリックの詳細な検討については、黄金の羊毛亭さんの感想(特にネタバレ感想)が参考になるかと思われますので、併せて紹介しておきます。

*1:物理学者・湯川学が探偵役を務める「ガリレオ」シリーズの3冊目に当たりますが、本書の謎は物理学者である必要はまったくありません。また、前作とのつながりもほとんどありません。なので、映画を観るにしろ本書を読むにしろ、前作の存在を意識する必要はまったくありません。構えることなく気楽にお楽しみください。

*2:もっとも、全編にわたって犯人側の視点から描いているものばかりではなくて、有名どころの『刑事コロンボ』や『古畑任三郎』のように途中から刑事側の視点に切り替わっているものもあります。そうした場合には、観ている側に必ずしもすべてが明らかになっているとは限らなくて、犯行の方法や動機に不明な点がある場合には読者もまた推理することになります。