『月長石』(ウイルキー・コリンズ/創元推理文庫)

月長石 (創元推理文庫 109-1)

月長石 (創元推理文庫 109-1)

 本書は文庫版で779頁という見るからに威圧感のあるボリュームを誇っています。なので、本書を買ったのは10年以上も前になりますが、どうしても手を付ける気にならず、恥ずかしながら長らく積読本として我が家の本棚に飾られていました。
 それを何ゆえ今になって読む気になったかといえば、『犬は勘定に入れません』コニー・ウィリス/ハヤカワ文庫)を読んでて本書のネタバレをもろに喰らったからです(笑)。「おいおい。それはないだろ」と思いましたが、世界初のミステリとして知られるポーの『モルグ街の殺人』のネタを仮にばらされたとしてもあまり責める気になれないのと同様に、本書の場合にも仕方がないといえば仕方がないということで観念しました。なぜなら、本書の解説でも「もっとも早く書かれた、もっとも長い、もっともすぐれた推理小説(本書p776より)というT・S・エリオットの言葉が紹介されているように、本書はミステリの歴史において最初期に書かれた長編ミステリとして知られているからです。
 ただし、本作が発表されたのは1868年ですが、それより2年早い1866年にエミール・ガボリオの『ルルージュ事件』という作品が発表されています。なので、”世界で最初に書かれた長編ミステリ”と紹介してしまうと看板に偽りあり、ということになってしまいますが、いずれにしても本書の古典ミステリとしての知名度の高さについては否定のしようがありません。
 というわけで、私は本書の予めネタを知った状態で読み始めたわけですが、とにかく長いです。アイデア自体は一発ネタといってよいと思いますが、よくもこのネタでこれだけの長編を描いたものだと感心してしまいます。本書の構成面での一番の工夫は、登場人物の手記によるリレーで語られるという独特の形式にあります。この手記がよくできています。手記の書き手の個性が存分に発揮されていて、人物の書き分け・物事や人物の個性の多面性といったものも巧みに表現されています。作品において一番分量のある手記を書いているのが執事のベタレッジです。イギリスの小説ならではの執事という人物の特殊性が配慮された独特の立ち位置・視点に加え、老人特有の古風な考え・お節介精神、さらには『ロビンソン・クルーソー』好きといった、実に魅力的な語り手です。そんなベタレッジの手記によって、途方もない価値を有するダイヤモンド・『月長石』の紛失という不可思議な事件の経緯が語られます。
 その後を継ぐことになるのが月長石の所有者であったレイチェルの従姉妹クラック嬢ですが、この手記の痛々しさといったら(笑)。解説でも、読者の感興をもっとも惹いたのは「クラック嬢の物語」であったと紹介されていますが、さもありなん。手記という形式ならではの狭窄した価値観に基づく物事の見方が活き活きと(?)表現されています。この後も手記の書き手は代わっていきます。こうした視点の切り替えが読者にとっては長文を読む上で絶好の気分転換になります。
 加えて、こうした連作手記といった形式が、本書の一発ネタ・トリックを表現する上でも極めて効果的に機能している点を看過するわけにはいきません。このネタ自体は実現性の問題など疑問がありまくりですが(苦笑)、意外性という意味ではよく思いついたなと思います。現代のミステリも意外な真相や犯人を用意するためときにかなり無茶なことをやらかしている印象がありますが、本書を読むとそんなの今に始まったことじゃないということを思い知らされます。
 作中で扱われる事件がミステリではお馴染みの殺人事件ではなく、宝石の紛失・盗難事件であるため、事件の謎自体に訴求力がないのが少々難点ではあります。実際、事件が発生してから解決までしばらく間が空いてしまうのですが、それも殺人ではなく紛失・盗難事件だからでしょう。また、ミステリ的興味以外の恋愛模様にかなりの筆が割かれているのは否定できませんが、一方で作中のカッフ部長刑事の推理などはなかなかに読み応えがあります。
 沿革的には重要な作品ではありますし、つまらないということは断じてありません。ですが、今の世の中、他にも面白いミステリがたくさんありますから、それらを差し置いて本書を読むべきとまではとてもじゃないですがいえません。何といっても厚すぎますし。しかしながら、有名古典ミステリをスルーしていると、それについて言及している作品・リスペクトを表明している作品を読む上での障害となってしまう場合があります。なので、ミステリファンであれば読んでおいた方が無難だと思います。