『カラット探偵事務所の事件簿 1』(乾くるみ/PHP文芸文庫)

カラット探偵事務所の事件簿 1 (PHP文芸文庫)

カラット探偵事務所の事件簿 1 (PHP文芸文庫)

真相を明らかにすることと、事件を解決することは、似ているようで違います。
(本書p99より)

 カラット探偵事務所は高校時代の同級生である古谷と井上の二人だけの事務所で、しかも「謎解き専門」という変わった看板を掲げています。古谷と井上は二人ともミステリ好きですが、本書の語り手であり探偵助手である井上の好きな探偵はフィリップ・マーロウリュウ・アーチャーであるのに対し、所長の古谷が好きな探偵は関係者全員を集めて「さて、犯人はこの中にいます」というようなタイプです。
 「カラット探偵事務所」というおかしな(ダサい?)事務所名ですが、これはタウンページに載せる広告を考える際に、最初は《あなたの頭を悩ます謎を、見事に解決いたします》だったものが、どうせなら頭韻を踏んだほうがいいんじゃね?という指摘を受けて《あなたの頭を悩ます謎を、カラッと解決いたします》と変更されて、じゃあついでに事務所名も、ということでカラット探偵事務所になったという由来があります。実にしょうもない言葉遊びですが、こうした言葉遊びが本書においてはとても大事な要素です。「File1‐卵消失事件」「File2‐三本の矢」「File3‐兎の暗号」「File4‐別荘写真事件」「File5‐怪文書事件」「File20‐三つの時計」の計6話が収録されていますが、そのほとんどが暗号ものです。「卵消失事件」は浮気疑惑にまつわるメールの文面。「三本の矢」は事件自体は屋敷に射られた三本の矢の謎の解決ですが、各節の最終行の行頭が弓道射法八節(足踏み/胴造り/弓構え/打起し/引分け/会/離れ/残心)の音が共通するというメタ的趣向が施されています*1「兎の暗号」はタイトルどおり真っ向勝負の暗号もの。「別荘写真事件」は写真についての謎解きで言葉が直接の対象ではありませんが、これもまた暗号の一種だといえます。怪文書事件」は団地にバラ撒かれている怪文書の謎解きで、これもまた暗号ものです。「兎の暗号」の凝った暗号も面白いですが、個人的には「卵消失事件」軽妙な暗号と、カーの『魔女が笑う夜』などを引き合いに出しながら怪文書についてABCパターンなどの類型的な分析が楽しめる怪文書事件」が好きです。それと、「別荘写真事件」依頼人から捜して欲しいと頼まれる父親は経産相出身でウランの安定的な輸入のための調整を図る部署にいて、辞職後にウランのマネジメント会社を興して、そしたら《高速増殖炉もんじゅ》の事故が起きて……といった時事的に大変微妙な設定で苦笑せざるを得ませんでした*2
 上述のようにカラット探偵事務所は謎解き専門ですが、だからといって事件の解決を決して疎かにしているわけではありません。安楽椅子探偵を気取ることなく現場に行って具体的な情報を収集し、さらには関係者と顔を合わせることで適切な問題解決を図っています。さらにいえば、本書の謎は上述のように暗号というパズル的なものばかりです。なので、謎解きだけでよしとしてしまうと単なるパズルと変わらなくなってしまう恐れがあります。それは、推理”小説”としては物足りないものになってしまうことにつながりかねません。本書のフォーマット設定にはそうした事情もあると考えられます。
 ちなみに、第6話がFile20なのにはちゃんとした理由があります。確かに、探偵の活躍を小説として記述する者(たいていはワトソン役)がいるミステリの場合には、事件が発生した時間と、それを捜査して解決する時間と、それを事件として記録する時間と、合わせて三つの時間があることになります。「三つの時計」はそうした三つの時間の流れを自覚して巧みに利用することで見事なオチを着けています。そこで明らかにされる真相自体は驚きといえば驚きで、ありきたりといえばありきたりですが、それを踏まえた上で前5作を読み返すと作者の丁寧な仕事ぶりが窺えますし、何より各話の印象――特に怪文書事件」の印象がまったく違ったものになるのが見事です。多くの方にオススメしたい一冊です。
【関連】「謎解き専門の探偵」と「事件を解決する探偵」と「やらない偽善」と「やる偽善」 - 三軒茶屋 別館

*1:巻末の千街晶之の解説参照。こんなの指摘がなければ気づけませんて。

*2:なお、本書の単行本版が刊行されたのは2008年・ノベルス版が2009年で、文庫版である本書の刊行日は2011年3月15日です。ちなみに現在、もんじゅこんなことになってるみたいです……。