秋期集中講義 よくわかる「物語工学論」(その1:さまよえる跛行者)

物語工学論

物語工学論

今回から講義を聴かれる方は、まずはこれまでの講義をご覧下さるとよりいっそう理解が深まると思いますのでどうぞ。
秋期集中講義 よくわかる「物語工学論」 - 三軒茶屋 別館
秋期集中講義 よくわかる「物語工学論」(その0:概論) - 三軒茶屋 別館
というわけで講義始めますー。

3日ぶりになります。テキストはしっかり読んできましたかー?*1
今回から「物語工学論」で書かれているキャラクタの分類についてそれぞれ実例を挙げながら説明していきます。
一回目の今日は、「さまよえる跛行者」です。
跛行」とは、通常でない歩行をすることです。
「さまよえる跛行者」とは、日常とは異端なる存在である主人公が「日常なる」舞台に立ち寄り、その異端ゆえに発するイベントをクリアしつつまたその次の舞台へと立ち去っていく「物語」を表します。
跛行」は言い換えるならば「ハンディキャップ」であり「異端」であると言うこと。
典型的なお話としては、異端な「能力」あるいは異端な「経歴」を持った主人公がとある「村(=日常の象徴)」に立ち寄り、その村が抱えているトラブルをその「異端の力」で解決する、しかしながら異端であるがゆえに村に定住できず次の村へと去っていく・・・という物語構造です。
ヘラクレス西遊記水戸黄門など昔からこういった物語は多いですし、原著『物語工学論』ではオイディプスなどを例に挙げていますが、少年マンガなどはこのパターンが非常に多く、『ONEPIECE』『北斗の拳』『蟲師』など、枚挙に暇がない物語構造だと言えます。
この物語構造で発生する副産物としては、「日常と非日常とのギャップに対する苦悩」であり、例えば『ドラゴンクエスト ダイの大冒険』で大魔王と主人公・ダイとの間で交わされた有名なこの会話。

…そういう連中だ 人間とは
奴らが泣いてすがるのは 自分が苦しいときだけだ
平和に慣れればすぐさま不平不満を言いはじめよる
そして…おまえは英雄の座をすぐ追われる…
勝った直後は少々感謝しても 誰も純粋な人間でないものに頂点に立って欲しいとは思わない…!
それが人間どもよ…!
三条陸稲田浩司ドラゴンクエスト ダイの大冒険』32巻、P56)

この大魔王の問いに対し、ダイはこう答えます。

…でもいいんだ!それでもおれはみんなが…
…人間たちが好きだっ!!
おれを育ててくれたこの地上の生物すべてが好きだっ!!
…もし本当におまえの言う通りなら…
地上の人々すべてがそれを望むなら…
おれはっ…
おれはっ…!
…おまえを倒して…!
この地上を去る…!!
(同p59,60)

まさに、「さまよえる跛行者」とも言えるダイのセリフに、グッときた読者は数多いことでしょう。(もちろんフジモリもその一人です)
主人公の能力が発揮できるのは「異常時(=非日常)」であり、事態が解決し「日常」に戻ったときその「異端」は忌むべき存在へと手のひらを返されます。
そのために主人公は「彷徨」を続けるのですが、逆に行うと「異端」が失われ「日常に回帰すること」がすなわち物語の終演だと言えます。
主人公の日常化(=去勢)という終了もまたお約束ながら据わりのよい物語構造であり、和月伸宏るろうに剣心』『武装練金』などこの手法を巧く使っていると思います。
るろうに剣心』の「るろうに」とは「流浪人」であり、まさに「さまよえる」存在そのもの。
あらすじは、

明治維新のために不本意ながら自分を殺し人を斬り続け、「人斬り抜刀斎」として恐れられた伝説の剣客緋村剣心が「不殺(ころさず)」を誓い、神谷薫との出会いや宿敵たちとの戦いを通じて、新たな時代での生き方を模索していく。(wikipediaより)

とありますが、読み替えるならば「異端の経歴」と「異端の能力」をもつ主人公がその力を封じ「日常(=神谷道場)」で新たな生き方を模索する(=日常への回帰)物語です。
「京都編」では異端の力ゆえに神谷道場を去り、「人誅編」では異端の経歴ゆえに神谷道場を去るところも、「跛行者」が「彷徨」という王道に沿っていることがわかると思います。
物語の終盤ではいずれ異端の能力である「飛天御剣流」が使えなくなる、という展開もまさに「王道」です。
一方、『武装錬金』では『るろうに剣心』とは異なり、主人公に異端の力が「与えられ」ます。
核鉄(かくがね)」によって新しい命と力を与えられた主人公・武藤カズキは与えられた力がゆえに敵味方に狙われ「彷徨」することになります。しかし最後には人間に戻り(=去勢)、「日常」へと帰っていくことになります。
作者・和月伸宏はこの「さまよえる跛行者」というフォーマットに沿った物語を紡いでいますが、それはまた少年マンガの「王道」を意識した、と言い換えることもできるでしょう。
 話はやや横道に逸れますが、「去勢」による物語の終了という手法はすなわち、「元の状態に戻りました」という構造です。ある意味、「鶴の恩返し」に代表される、「異端の力によってプラス(富を得る)主人公たちが諸行無常な「0に戻る」」パターンである*2、東洋の物語に多く見られる構造であると思われます。
 一方西洋の物語の類型としては「罰」を与えられた登場人物がその困難を排除して「幸せになる」パターンが多々見受けられます。こちらは次回講義する「塔の中の姫君」に近しいものであると同時に、結末として「幸せに暮らしました」という「0よりプラスになる」構造だという比較も興味深いです。*3
 閑話休題
 「去勢による終了」と異なる終わり方としては、熊倉隆敏もっけ』などが挙げられます。
姉妹の成長と絆を描くあたたかな「本格妖怪漫画」 熊倉隆敏『もっけ』 - 三軒茶屋 別館
 主人公たちの異能の力が失われるのではなく、異能の力を含めて「日常」に回帰する、「非日常ごと日常にする」幕引きというのも、「お約束」をふまえた上での変奏であると同時に、後日講義する「対照する二極を同時に内包する」武装戦闘美女との地続きが見え非常に興味深いです。



「さまよえる跛行者」とは「日常」と「非日常(=異端)」の対比により物語を推進していきます。彷徨を繰り返すことで物語を継続させられ、なおかつ「収束」が可能という非常に「物語りやすい」パターンです。
このパターンから様々な編曲が生まれるにせよ、まず「基本」をしっかり理解することでその亜種も理解できるのだと思います。
…というわけで今回の講義はここまで。
次回は「塔の中の姫君」について説明します。。
次回のテキストは、この3点です。予習復習忘れないようにー。
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*1:まあ、読んでなくてもわかるように意識していますが、講義の雰囲気を出すためのお約束、ということで。

*2:あの「ドラえもん」などもこの構造をとっているのは決して偶然ではないと思います。

*3:この辺の「東洋と西洋との物語比較」については中国の説話集『聊斎志異』と、ほぼ同時期に編集されたグリム童話を比較した拙論「『聊斎志異』における変身譚についての考察」でも語られております。ご興味ある方はご覧ください。「『聊斎志異』における変身譚についての考察」http://www.sancya.com/book/book/liter_03_00.htm