『家蠅とカナリア』(ヘレン・マクロイ/創元推理文庫)

家蝿とカナリア (創元推理文庫)

家蝿とカナリア (創元推理文庫)

 一匹の家蠅と一羽のカナリアとを仲立ちとして、ロイヤリティー劇場の殺人劇は解決を見たのだった。
(本書p13より)

 原題は「Cue for Murder」で、そちらを直訳しても悪くはないですが、邦題としてはやはり「家蠅とカナリア」の方が優れていると思います。
 さて、本書の内容ですが、精神分析学者のベイジル・ウィリング博士は、《タイムズ》紙で奇妙な記事を見つける。それは、さる刃物研磨店に夜盗が押し入ったが何も盗らず、代わりに鳥籠をあけてカナリアを解放して立ち去ったらしい、というものだった。その研磨店の近くの劇場で事件が起きる。衆人環視の舞台上での殺人事件。容疑者は絞られるものの、しかし、そのうちの誰かに特定するだけの証拠が見つからない。カナリアの事件と、そして凶器にして小道具である舞台用のメスに止まった家蠅の動きを手掛かりに、ベイジルは事件の解決に乗り出す……といったお話です。
 『チャーリー退場』『トスカの接吻』などと同じく、劇場を舞台としたミステリです。同じくマクロイの作品でベイジルが探偵役として活躍する『幽霊の2/3』杉江松恋の解説*1によれば「精神科医を職業とする探偵の草分け」とのことなのですが、その職業のとおり、物的側面のみならず心理学的側面からも犯人を突き止めようとします。さらに、主な容疑者である3人の役者の心理分析(道徳的ないし心理的属性)のみならず、3人の演技力の分析・役者としてのスタンス(どんな役でも演れる役者か、それとも、地でいけるような役柄だけを配役される役者か)といった劇場ミステリならではの分析もなされます。そのように人間心理を描写しながらも犯人の心理へと近づいていく過程は確かになかなか読ませます。
 ただし、ミステリとしては不満があります。カナリアと家蠅はミステリの謎として、あるいは読者にページをめくらせるものとして、あまりに魅力的です。ですが、その真相は正直いって拍子抜けです。他方は単なる知識の問題に過ぎず(しかも、昔はともかく今となっては多くの方にとって周知のものでしょう)、他方は確かに心理分析学者の面目躍如の解釈なのかもしれませんが、それで納得できる人はあまりいないのではないでしょうか?(笑)
 そういうわけで、心理的特徴から犯人を特定するミステリの古典としては面白いとは思いますが、ロジカルの妙とかについては過度な期待をしないで下さい(笑)。演じる者・演じられる者・操る者・操られる者といった演劇ミステリとしての面白さについては古典ながら申し分ありませんので、こちらの読み方を個人的には推奨します。

*1:2009年刊行の新訳版(訳者:駒月雅子)。