『シャドウ』(道尾秀介/創元推理文庫)

シャドウ (創元推理文庫)

シャドウ (創元推理文庫)

道尾 このあと、いろいろとお話が出てくると思いますので、本当に簡単に??。僕はいま本格ミステリというジャンルの中で書いています。昔から本格ミステリは人間を描けない、あるいは人間を描くのが苦手だと言われがちなんですけれども、僕の中では、本格ミステリほど人間を描ける、感情を描けるジャンルはほかにないんじゃないかという思いがずっとありした。『シャドウ』は、そういう思いをかたちにするつもりで書いた作品です。今後も同じような路線といいますか、本格ミステリの仕掛けを通じて人間を描くんだという気持ちで小説を書いていくつもりでいます。
第7回「本格ミステリ大賞」発表記念座談会より)

 第7回本格ミステリ大賞小説部門受賞作品です(参考:第7回本格ミステリ大賞 受賞作一覧)。
 『読ませる機械=推理小説』(トマ・ナルスジャック東京創元社)という本がありますが、その中で、推理小説というものが持つ《機械的な作業》性というものが序章において指摘されています。そうした作業性に着目すれば、小説を書くための手段としてミステリという形式を利用する作家がいても不思議ではありません。不純といえば不純かもしれませんが、実際にそうした動機で描かれ、しかも傑作として評価されている作品もあります。読者としては面白い作品が読めさえすれば別にいいので、それはそれで構わないでしょう。
 ですが、「人間を描く」ための最適のジャンルとしてミステリという形式を利用している作家というのは、少なくともそれを自覚的に描いているという意味において、道尾秀介という作家は特異な存在なのではないかと思います。そして、そんな特異性を感得する上において、本書『シャドウ』という作品は実に適した作品であるといえるでしょう。
 本書は、小学五年生の少年・鳳介を中心に、他にも鳳介の父親である三人称多元視点の描写が採用されています。微妙な年頃の少年と少女の内面と、隠しておきたいと思いつつも少しずつ明かさなくてはならないとも思っている大人の内面。複数の視点人物によって物語は多面的に語られますが、その物語には思わぬ真相が待ち構えています。そんな物語の意外性は、個々の人物が持つ多面性と変化(成長)へとフィードバックして、作者の思惑どおり「人間を描く」効果を生じさせています。精神医学を題材とすることによる人間のラベリングも「人間を描く」ことに一役買っています。手段と目的が見事に噛み合った作品だといえます。

道尾……『向日葵の咲かない夏』のときに、親に虐げられた子どもの存在が残酷すぎるとたくさんの人に言われました。でも「救い」を書くには、マイナスの感情をきちっと書いていかないと、どうしても「ちょっとした救い」の話しか書けないと思うんです。『シャドウ』では、僕が書きたかった「救い」を読者がわかってくれたんだなという手応えがありますし、こういうものを描く際のさじ加減もなんとなく板についてきたように思います。
小普連メンバーがいま気になる作家に熱烈インタビュー 第20回 道尾秀介さんより)

 上記のように、本書には『向日葵の咲かない夏』で突きつけられた問いに対してのアンサー的な意味合いがありますが、『向日葵〜』と同じくマイナスの感情や出来事といったものはしっかりと描かれています。ですが、『向日葵〜』における「救い」があくまでも主人公の意志のみにかかるものであったのに対し、本書の場合には、それのみならず「家族の絆」に支えられています*1
 技巧の冴えと読み応えとが両立した傑作として多くの方にオススメしたい一冊です。
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作家の読書道:第78回 道尾秀介さん | WEB本の雑誌

読ませる機械=推理小説 (1981年) (Key library)

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*1:但し、好みの問題でいえば、私は本書よりも世界観の歪みが堪能できる『向日葵〜』の方が好きですが。