『ラットマン』(道尾秀介/光文社文庫)

ラットマン (光文社文庫)

ラットマン (光文社文庫)

ネズミがいるぞ
ネズミがいるぞ
足下なんて覗き込むな
そんなとこ見たって意味がない
お前の中にいるんだよ
お前の中にいるんだよ
――soundowner”A Rat in Your Head”

(本書p96より*1

 姫川亮は結成14年のアマチュアロックバンド「soundowner」のギタリストであるが、いつものように練習していたスタジオで、不可解な事件に遭遇する。事故か?それとも……?事件の真相が明らかとなったとき、姫川が抱えている過去のある出来事の真相もまた明らかに……。といったお話です。
 本書のタイトル『ラットマン』とは一種の騙し絵のことです。本書中でもp72にて紹介されています。どちらも同じ絵ですが、動物と並んでいる側の絵はネズミに見え、もう一方の人間の顔と並んでいる側はおっさんの顔に見える絵。それがラットマンです*2
 本書の主人公にして語り手は、エアロスミスのコピーを演奏しているアマチュアロックバンドのギタリスト姫川亮です。彼には幼少期から抱えているあるトラウマがあって、さらには今の彼女ともうまくいってません。そこには彼女の側が抱えている事情もあるらしく、さらにはその彼女の妹に姫川は惹かれていて……。というように、ミステリでこんな人間関係が描かれていたらいつ事件が発生してもおかしくない状況ができあがっています。
 そしたら案の定、事件が発生するわけですが、ここから姫川の語りは読者にとって「信頼できない語り手」へと変貌します。とはいっても、読者に対して意図的に偽りの情報を与える、というような語りではありません。肝心な部分を警察や仲間や、そして読者にも隠しながらの語りです。ただ、一人称における語りにおいて、このような語り手のフィルタリングがかかった語りというのは実はごく当たり前のことではあります。そうしたフィルタリングの存在が読者のみならず語り手である姫川自身にも認識されたとき、現在と過去の事件の真相が明らかとなります。
 作中で発生する事件の謎解き自体はそんなに難しいものではありません。むしろ平凡なものです。にもかかわらず、本書がミステリとして読ませる作品に仕上がっているのは、語り手である姫川が抱いている思い込みというフィルタが、作中の言葉を借りれば「合理化」によって生み出されたものだからです。それはある種の心理的防衛機制ですが、そこには何らかの合理的根拠・理屈があります。本書の謎解きは、誰がどうやってその事件を起こしたのかという通常のミステリ的な謎解きよりも、なぜ思い込みを抱いてしまったのかという心理面の謎解きに主眼が置かれています。それこそが本書の特徴です。
 「信頼できない語り手」というのは、ミステリの文脈ではとかくフェアプレイとの関係で問題となりがちです。本書の場合には、それに加えて「信頼的ない語り手」→「何かを信じて裏切られることから逃げている語り手」という問題を描いているともいえます。換言すれば、語り手が信頼を回復するまでの物語であるともいえます。本書は、「ミステリーは人間の感情を描くのに最適の形式だと思う」*3という道尾秀介のポリシーが最大限に表現された一冊です。オススメです。

*1:ちなみに、「野性時代」2009年3月号「特集 道尾秀介に気をつけろ!」内の『ラットマン』についての解説によれば、雑誌掲載時には許可されていたエアロスミスの歌詞引用が、校了直前に突然不許可となったのだそうです。なので、本書のそこかしこに登場するオリジナルの歌詞の作成と設定の変更は急遽(編集から作者に電話してから4時間後)行なわれたものとのことです。私はエアロスミスのことはほとんど知りませんが、詳しい方が読めば面白いのかもしれませんね。

*2:ただし、私にはどんなにいくらこの絵を眺めてもネズミにしかか見えません(涙)。どうやったらおっさんに見えるのかしら……?

*3:野性時代」2009年3月号「特集 道尾秀介に気をつけろ!」p16より。