『ハチワン=081=オッパイと読んでしまう人のための『ハチワンダイバー 12巻』将棋講座』

ハチワンダイバー 12 (ヤングジャンプコミックス)

ハチワンダイバー 12 (ヤングジャンプコミックス)

ハチワンダイバー 12』(柴田ヨクサルヤングジャンプ・コミックス)をヘボアマ将棋ファンなりに緩く適当に解説したいと思います。
(以下、そこそこに長々と。)
●第1図(p4より)

 100面指しでそよは全員に初手▲5六歩を指します。この手を見た澄野の「戦型を2つに絞り込める」という解説は、正確ではありません。将棋の戦法は例外を除けば居飛車振り飛車の2つに大別できますから、初手に何を指そうとも居飛車振り飛車という相手の大枠は変わりません。
 ですが、初手▲5六歩が100人を平手で相手にする場合の選択肢として一理あることは間違いありません。初手▲5六歩は、中飛車をほぼ宣言した手であるといえます。つまり、自分の形を決めてしまうことで盤面の多様化を回避した意味があるのです。中央突破という分かりやすい狙いは100面指しにはもってこいです。
 ちなみに、将棋の初手は、角道を開ける▲7六歩と飛車先を突く▲2六歩の2通りが基本ですが、初手▲5六歩は先手で中飛車を指す場合の最善手とされています。普通の振り飛車の初手は▲7六歩ですが、▲7六歩から中飛車を目指そうとすると、▲7六歩△3四歩▲5六歩としたときに△8八角成▲同銀に△5七角とされて馬を作られてしまいます*1。▲7六歩△3四歩に▲6六歩と角道を止めてから中飛車にすれば角交換をされることはありませんが、現代将棋において▲6六歩とする中飛車は少し損とされています。その点、初手▲5六歩であれば△3四歩に▲5八飛とすることで、後の5七への角の打ち込みを防いでいます。
 また、中飛車にしたいのなら初手▲5八飛*2でもいいじゃないかと思われるかもしれません。本当のことを言ってしまえば、それはその通りです。ただ、後手が2手目△8四歩〜△8五歩と飛車先の歩を真っ先に突いてきた場合に、初手▲5八飛の場合には中飛車しかありませんが、初手▲5六歩の場合であれば、▲5六歩△8四歩▲7六歩△8五歩▲7七角となりますが、このとき、相手の出方によっては▲5八飛と回る中飛車だけでなく、▲8八飛と回る向かい飛車も選択肢として残ります。なので、そよが100面指しにおいて盤面の多様化を回避することを最優先するのであれば、初手は▲5八飛とすべきだったのかもしれません。ですが、将棋の指し手として、同じ中飛車を指すにしても、▲5八飛よりも▲5六歩のほうが優れています。意見の分かれるところではあるかと思いますが、私としては、やはり▲5八飛よりも▲5六歩を支持したいです。
 続いて、文字山対澄野戦です。
●第2図(p40〜41より)

 文字山の右四間飛車居飛車穴熊対澄野の振り飛車四間飛車)から、角を交換して互いに桂馬を捌き合うトリッキーな展開です。図は、澄野が△3三角と相手玉を睨む角を打ったのに対し▲6六桂と角の睨みを遮断しながら攻めにも利かす攻防の桂を打った局面です。先手は1筋からの突破を図ります。
●第3図(p44より)

 1筋を突破された澄野は飛車を5筋に展開して中央突破を図ります。1筋からのと金の活用は相手玉まで距離はありますが、駒を取りながらであれば悪い気はしません。ですが、後手の中央突破も迫力十分です。(後手から見て)左辺の角と銀を見捨てて、澄野は相手玉に迫ります。
●第4図(p46より)

 結果は大差となりました。投了図は王手金取りです。一番堅く▲7九金と打ったとしても、△4九飛成と金を取る手が△7九龍▲同玉△5九飛成▲6九桂△8九金▲同玉△6九龍▲7九桂△7八金▲9九玉△7九龍までの詰めろになっていますし、受けても一手一手です。後手玉に迫る手もありませんし、投了もやむなしです。ちなみに、この将棋には元棋譜があります。2005年A級順位戦三浦弘行鈴木大介戦がそれですので参考まで。
2005年A級順位戦:三浦弘行対鈴木大介(将棋の棋譜でーたべーす)

 将棋の盤面以外のことを少々。
 多面指しはプロ棋士がアマチュアに指導するときにしばしば行なわれますが、100面指しともなれば滅多なことでは行なわれません。『山手線内回りのゲリラ』(先崎学日本将棋連盟)では先崎学八段が120面指しを行なったときの体験が記されていますが、体力的に相当きつく、特に腰にかなり負担がかかるそうです。2時間30分で終局したのは10局。全部終えるのに5時間56分かかったそうです。ちなみにこの120面指しはギネスに挑戦する目的で行なわれたものですが、駒落ちだったこと、かつ、勝率が80%に満たなかった(約55%)という理由で申請は却下されています。それはともかく、プロが駒落ちとはいえ55%の勝率なのですから、そよが達成した100面指し全勝がいかにあり得ないものかがお分かりいただけるかと思います。
 また、文字山対澄野戦で、澄野は「だいたいで指している」といってますが、こうした姿勢もないではないです。羽生善治は大棋士大山康晴の往年の将棋について次のように語っています。

羽生 とにかく読んでないんです(笑)。読んでないのに手が急所に行ってる、という感じです。一言でいうなら、これに尽きます。 あとですね、いい手を指すことにはあまりこだわりを持っていない。ここも独特の考え方なんです。ふつうなら、その場面で一番いい手を捜そうとしますよね。ところが、大山先生は、そんなふうにも見えない。非常におおらかというか、「ま、このぐらいでいいよ」と。
将棋世界』2006年8月号所収「ロングインタビュー 羽生善治、将棋の《今》を語る」p20より

 いくら読んでも読みきれない将棋の世界。それでも、勝負となれば時間に追われてでも何か手を指さねばならず、そんなときに頼りになるのは直感や将棋観、あるいはイメージといったものです。それが、極端になれば「だいたいで指している」という境地につながるのでしょう。ですが、そうした直感やイメージすらも磨き上げないと勝てないのがプロの世界です。コンピュータとプロ棋士の思考を比較するときに、どんなに無駄と思える手でも読んでしまうのがコンピュータであるのに対し、直感で指し手を見極めてしまうのがプロの思考であって、そこが人間がコンピュータよりも優れたところだといわれることがあります。「読まない」というのも立派な武器なのです。 
 以上ですが、何かありましたら遠慮なくコメント下さい。ばしばし修正しますので(笑)。



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柴田ヨクサル・インタビュー
『ハチワン』と『ヒカルの碁』を比較してみる
将棋世界 2006年 08月号 [雑誌]

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*1:ちなみに、後手の中飛車(いわゆるゴキゲン中飛車)の場合には、▲7六歩△3四歩▲2六歩△5四歩となりますが、同じようでも▲2六歩と突いてあるため、▲5三角には△4二角とされて馬を作ることができません(∵角を2六に引けない)。ゴキゲン中飛車が後手の作戦とされている所以です。

*2:いわゆる原始中飛車。『ハチワン』5巻で澄野が3面指しのときに採用しています。