『王狩2巻』将棋講座

王狩(2) (イブニングKC)

王狩(2) (イブニングKC)

奨励会の「本気」は 売るには苦すぎる
(本書p54〜55より)

 大変遅くなってしまいお恥ずかしい限りですが(汗)、『王狩』2巻についてヘボアマ将棋ファンなりに解説してみたいと思います。

作中に登場する将棋・棋譜について

 将棋の局面・棋譜などについて分かる範囲で少々。
 p18より▲綿貫‐△日佐戦。

 一例ですが、▲9八玉△9七銀▲同桂△8七銀▲同金△6八龍▲8八金△8九角▲8七玉△8八龍▲同玉△7八角成▲9八玉△8七金までの14手詰めです。
 続いて▲牛嶋毅三段‐△日佐戦。
 序盤は横歩取り△8四飛型。この戦型は飛車角が飛び交う華々しい乱戦になりやすいのですが、そこは重さと堅実さを特徴とする牛嶋三段。少しずつじわじわと駒を進めて先攻します。

 p34「駒が泥沼に沈んでいくよう」な局面。3筋に銀を進出させることで厚みを築き、飛車を寄り桂馬を跳ねて戦力を3筋に集中させています。自玉もひとまず安全。まさに棋風に沿った駒運びだといえます。ですが日佐は怯みません。△2三歩▲2四歩の応酬から△4四歩と突いて相手の攻めを催促。決戦開始です。

 価値の高い駒を放り込む▲5二金。狙いは△同玉と取らせて▲3二飛成。龍を作って王手銀取りとなればすぐに駒損が解消できて攻めが続くかたちです。後手にとっては怖い変化ですが、日佐は平然と、いやニヤリと笑って指し進めます。▲5二金△同玉▲3二飛成△4二銀▲2二龍△4四角▲3三歩△8一飛▲2三歩成に△2一金(p60〜61より)。

 攻めの要である飛車を自陣に引いて金を打って相手の龍を殺す。苦しい局面こそ力を発揮する日佐の本領発揮です。牛嶋三段の執拗な攻めは続きます。▲7二銀〜▲7四金と後手玉の左に駒を投入し、龍は取られたものの右からはと金攻め。左右からの挟撃で後手玉に迫ります。受けているだけでは勝てないと判断した日佐は△3五角(p62)からの攻め合いに方針を切り替えます。その後、数手進んで指されたのが▲6六角(p63)。

 この手の意味は、後手から5七の地点への攻めを見せられていますので▲6六角とすることで5七の地点を補強すると同時に玉の逃走路を確保するという二つの意味があります。ですが、それでも悪手とされてしまうのが恐ろしいところです。ここは▲2一歩成と飛車を取る手が、以下▲7三銀△同銀▲6三金△同金▲5二飛までの詰めろなので、▲2一歩成と飛車を取るべきでした。
 なぜなら、ここで日佐が指した△2八飛が、以下△5六桂▲6九玉△5八飛成▲同玉△5七桂成▲同角△同角成▲同玉△4八角▲5八玉△5九金までの詰めろになっているからです。ここで攻守交替。形勢も入れ替わってしまいました。逆転です。
 牛嶋も粘って王手飛車取りをかけますが、これは「プロの将棋では王手飛車取りをかけさせるのも読みのうち」。

 p74投了図。△7八金以下、▲同飛△同銀成▲同玉△6九銀▲7七玉△7八飛▲6六玉△6五金▲5七玉△5八飛成まで。投了もやむなしです。
 この将棋には元棋譜がありますので参考まで*1
【参考】将棋の棋譜でーたべーす:第76期棋聖戦最終予選決勝 谷川浩司‐飯塚祐紀
 奨励会1日トーナメント新星戦準決勝:日佐英司二段対久世杏2級戦は後手杏は横歩取り△8五飛を選択。△8五飛対策はいくつかありますが、その中から日佐は「5八玉型超急戦」と呼ばれるかたちを選択します。

 横歩取りにおいて先手の陣形で多用されるのは、左右の金が7八と3八に配置され玉が5八に立つ「金開き中住まい玉」と呼ばれる構えです。それとの比較で、右金を3八に開くことなく戦いを挑む。それが「5八玉型超急戦」です。玉が5九のまま急戦を挑む指し方(例えば新山崎流)との区別もあってこうした呼び方がなされているのだと思いますが、ちょっとしたかたちの違いがその後の展開に大きな違いをもたらすのが将棋の難しくも面白いところです。
 いわゆる最新型と呼ばれる指し方だけに定跡は確立されていません。それでいて、飛車角が飛び交う横歩取りの戦型はひとつ間違えると取り返しのつかないミスとなってしまうことが多々あります。作中にて「迷路」と例えられている手順ですが、ひとつ間違えると奈落の底、間違えなくても次にさらなる分岐が待ち構えているという意味で、言い得て妙な表現だと思います。そんな迷路の最深部が△4四角の局面です(p122〜123)。

 「迷路」と評されている手順ですが、もしかしたらすでに定跡という名の地図が作られているかもしれません。定跡は日進月歩です。この局面を前に、日佐は消去法で指し手を選ぶのをやめ、指したい手を指すことを決断します。▲6六角△同角▲同飛△6二銀▲7三歩△6一金▲7二角△5一金▲5三桂成(p132)。流れるような手順で攻め立てます。

 ですが杏もしぶとく応戦。ギリギリの攻防が続きます。そして反撃の△4六歩(p166)。

 3八に金が上がっていない5八玉型超急戦の弱点を突き先手玉のコビンを狙う急所の一手です。さらに続く際どい攻め合いの中、杏が放ったのが△3四桂です。

 王手を防ぐ桂打ち。タダで取られてしまう桂馬ですが、▲同飛は△2五玉から後手玉が捕まりません。△6九金の一手詰みから逃れるために▲4七飛としても△6八馬から以下、▲4八玉△5八金▲同金△同馬▲同玉△6八金▲同玉△7七角成▲5八玉△6九銀▲4九玉
△5九馬▲3八玉△2七銀▲同玉△2六金(ここに金を打てるのが△3四桂の効果)▲2八玉△2七金打までの詰みです。つまり△3四桂は攻防の妙手なのです。ゆえに投了もやむなしです。
 以上ですが、他にも何か作中の棋譜や盤面について何かご存知の方がおられましたら(特に日佐‐久世戦その他の盤面の元棋譜)、コメント欄等でご教示いただければ幸いです(ペコリ)。

完全記憶と超直感について

久世の「記憶力」は詰みが近づくほど手強い
(本書p98より)

 将棋で詰みが近づく終盤は、コンピュータがもっとも得意とする計算の分野です。なので、「記憶力」はそんなに意味をなさないと思います。もっとも、最近の将棋は詰みまで研究されていることもままあるので意味がないことはないですが、やはり序中盤にその真価が発揮されやすいでしょう。私見では、有力でありながら指されなくなった一昔前の定跡に誘導するのが「完全記憶」を活かす一番の方法だと思います。逆にいえば、自分の特異戦法=研究分野に持ち込むのが「完全記憶」対策としては手っ取り早いでしょう。
 一方で、「完全記憶」に裏打ちされた「超直感」には説得力があります。将棋の勝負において「直感」とは「山勘」とは異なります。頭の中に浮かんでくるものという意味ではどちらも同じかもしれません。しかし、「直感」は、日々の勝負と読みと鍛錬によって意識的に磨き上げられていくものです。

 ハッキリいって、大山先生は盤面を見ていない。読んでいないのだ。
 私は先生に十局ほど教わったが、脇で見ていても読んでいないのがわかる。読んではいないが、手がいいところにいく。自然に手が伸びている。それがもうピッタリという感じだ。まさに名人芸そのものであった。
『決断力』(羽生善治角川oneテーマ21)p61より

決断力 (角川oneテーマ21)

決断力 (角川oneテーマ21)

投了のタイミング

 棋士の投了のタイミングについて、『将棋王手飛車読本―将棋の神に選ばれし者たちの叫びを聞け』(宝島社)という本にて投了のタイミングについてのアンケート結果が紹介されています。興味のある方はぜひ読んでいただきたいのですが、「勝ち目がなくなったと判断したとき」「将棋の盤の前から離れたいと思ったとき」「負けと分かってもアマチュアの方が見てある程度理解できる局面まで指し進める」「一手違いの局面になるようにかたちを作って投了する」「きれいな捨て駒で詰まされる局面」など様々です。将棋観や勝負観、美学、こだわりなどが反映されているといえます。

最強でも勝率7割

 「双天」でも勝率は7割強とされていますが、現実のプロの将棋界で最高勝率を誇る羽生善治の勝率も7割強です。
【参考】勝率5割から抜け出すために。 - 三軒茶屋 別館

「高速道路」論

 1巻の解説記事でも触れましたが、今の将棋界を「高速道路の果てにある渋滞」に例えたのは羽生善治です。

「ITとネットの進化によって将棋の世界に起きた最大の変化は、将棋が強くなるための高速道路が一気に敷かれたということです。でも高速道路を走り抜けた先では大渋滞が起きています」
(『ウェブ進化論』p210より)

ウェブ進化論 本当の大変化はこれから始まる (ちくま新書)

ウェブ進化論 本当の大変化はこれから始まる (ちくま新書)

日佐とヒキカクくんと飯島栄治プロ

 巻末に登場しているマスコット「ヒキカクくん」は、p188で述べられているとおり、『王狩』将棋監修・飯島栄治七段発案で升田幸三賞受賞「引き角戦法」のイメージキャラクタです。
【参考】引き角くんキャラクターコンテスト、結果発表! | ピエコデザイン | piecodesign
 さらに、この引き角戦法は日佐の得意戦法という設定があります(対振り飛車用の戦法なので、居飛車党の杏などが相手の場合には出番がありませんが)。
【参考】うろうろゆらゆら:盤面の撮影
 ちなみに、日佐のイメージは「弓」*2。さらに、日佐の名前は「英司」、飯島七段は「栄治」と「えいじ」つながりとなっています。作者のこだわりですね。



【関連】『王狩1巻』将棋講座 - 三軒茶屋 別館