編集者という「コーチ」と、現代の「コーチング」 『バクマン。』4巻書評
- 作者: 小畑健,大場つぐみ
- 出版社/メーカー: 集英社
- 発売日: 2009/08/04
- メディア: コミック
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3巻では「反・王道マンガ」という道筋を否定し、一からやり直そうと決意したサイコー・シュージンの二人。彼らは迷走しながらも、「新妻エイジ」という天才と出会い、自らの「原点」を思い出します。
再び「推理物」という「反・王道」を目指す二人。この巻は二人の「成長」の回です。
名脇役・服部
『バクマン。』というマンガにおいて助演男優賞を与えるならば、服部の名前を挙げる人が多いと思います。二人が持ち込みを開始したときからその才能に気付き、二人にアドバイスを与え続けている編集者・服部。
4巻では服部が物語の中心となり、仲たがいした二人を引き合わせ、二人のアドバイスを与えレベルアップさせ、金未来杯掲載に持ち込みます。
このマンガではマンガ業界の内情が非常にリアリティ強く描かれていますが、当然ながら実際の編集者・編集部とは若干異なっています。
●バクマン。 ジャンプ編集部に『服部哲』は2人いた…だと…? - ToLOVEる☆LOVE
実在の人物の名前と姿を若干シャッフルするなど、このあたりは「フィクション」色が強いです。作者もこの辺は意識しているようで、マガジンハウス『BRUTUS』2009年6/1号の特集「オトナノマンガ」内の記事、大場つぐみインタビューではこのように答えています。
Q.『バクマン。』の物語におけるファンタジーとリアリティのバランスについて意識していることはありますか。
A.ファンタジーとリアリティのバランスが一番難しく、逆にそこが読者、特にマンガ界に興味のある人には一番面白みのあるところとして読んでいただけるとありがたいです。『バクマン。』に登場する「ジャンプ編集部」はあくまでもマンガの中の編集部なので、編集部内のことはフィクションが多くて構わないと思いますが、例えば「(読者アンケートの)10人のうち2人が票を入れてくれれば人気マンガ」みたいな箇所は、できるだけ嘘を書きたくない(嘘では面白くない)ので、編集部にお願いして本当のことを教えてもらい、参考にして書いています。
*1
アンケート至上主義や連載会議などの「ジャンプルール」は徹底的に真実を盛り込みリアリティ溢れさせる一方で、登場人物や物語そのものはファンタジー(フィクション)を交え読者に面白さを与える。その「ファンタジー」と「フィクション」の中間地点に立つキャラこそ、「編集者・服部」なのだと思います。
『バクマン。』の編集者像
これまでの編集のイメージと言えば、島本和彦『吼えよペン』『アオイホノオ』で戯画化され描かれているように、「新人を選別する(ふるいにかける)」「作家の尻を叩いて原稿を回収する」という仕事風景が思い浮かびますが、『バクマン。』ではガラっと異なっています。
『バクマン。』での編集者は、「新人を伸ばし戦力にする」「連載作家のモチベーションを保ちケアを行う」*2と、比較的「作家に優しい」人たちが多いです。
メタ的な見方をすれば、連載当時近辺の大きな事件でもあった「雷句誠裁判」によって印象が悪くなっていた「編集者」に対するイメージアップという戦略もあったことでしょう。
●雷句誠 - Wikipedia
この作家と編集者の関係については、漫画評論家の伊藤剛がこのように語っています。やや長くなりますが、引用します。
マンガ業界の「変化」として話題になったことの一つに、マンガ家と出版社の関係がある。昨年(2008年)、小学館「少年サンデー」で『金色のガッシュ!』を連載していたマンガ家・雷句誠氏が小学館を提訴した“事件”と、講談社「モーニング」で『ブラックジャックによろしく』を連載していた佐藤秀峰氏が、小学館へ移籍する経緯を今年になってウェブで公開、さらに自作を出版社を通さず自主流通で販売することを表明したという“事件”がきっかけである。
雷句氏の提訴は原稿の紛失を直接の理由とするものであったが、訴状にはそれ以外にも小学館の編集者によるパワーハラスメントめいた言動などを告発する内容が含まれていた。それに触発され、少女マンガ家の新條まゆ氏もブログで小学館の編集者たちの「問題行動」について言及したことも記憶に新しいことだろう。また一方の佐藤氏による経緯の公開にも、主に講談社の編集者たちの「問題」を告発する内容が多分にあった。
これらの「告発」が、人々の耳目を引いたのは、提訴の直接の要件である原稿紛失よりも、マンガ業界特有の「編集者」と「マンガ家」との関係が明るみに出されたことによる。いや、正確には「編集者」と「マンガ家」とが築いてきた特殊な「関係」が、随所で軋みを上げ、機能不全を起こしかけていることが明らかになったというべきだろう。
(伊藤剛「いま「マンガ」はどうなっているのか」日経BP)
また、漫画家志望者が少なくなったことで昔のような買い手市場の対応が取れなくなった現実があるのかもしれません。*3そしてさらなる見方としては、原作者である大場つぐみの「願望」があるのかと思います。
●「ネギま!」赤松健が「バクマン。」を日記で語ったと話題 :にゅーあきばどっとこむ
「真城最高=異常に絵が上手い、パラレルワールドの大場つぐみ氏」で、
「高木秋人=容姿的にも成績的にも、理想的な境遇の大場つぐみ氏」という
ことです。(もちろん川口たろう先生も大場つぐみ氏)
従って、これは原作者の願望充足漫画だというのが私の予想です。
(※願望という言葉が失礼にあたるならスミマセンm(_ _)m)
(2/8の日記より)
上記HPで『ネギま!』の作者・赤松健は、『バクマン。』を「願望充足漫画」と称しています。実際にどうなっているのかという現実はさておき、大場つぐみが「編集者はこうあってほしい」という願望を盛り込んであるという可能性は否定できません。この部分が、このマンガのルールである「ジャンプシステム」という「リアリティ」に原作者が盛り込んだ「ファンタジィ」なのかと思います。
編集者という「コーチ」
4巻では、服部のアドバイス、そしてコーチングにより二人が確実にレベルアップしていきます。
*4
スポーツマンガで言うところの「師匠・コーチ」に当たる役割である服部ですが、彼のコーチング方法はそれまでのスポ根マンガとやや異なっていると思う点があります。
スポーツマンガでは、ひたすら基礎トレーニングを行ったり、ときにはスポーツと関係ないことを行いながら、「実はそのトレーニングはこんなふうに実践に役立つんだ!」と驚きを与える「特訓」というパターンが多々見受けられます。
しかしながら服部はサイコー・シュージンの二人に、「なぜこれをやらなければならないか」という意味をしっかり理解させ、「課題」を与えます。
こういった「教えられる側」の目線に立ち指導・コーチングするというスポーツマンガの最たるものが、ひぐちアサ『おおきく振りかぶって』だと思います。
モモカンやシガポが西浦高校野球部員たちにフィジカル面、メンタル面でトレーニングを行う際には、必ず「なぜ、このトレーニングが必要なのか」「これをすることで野球にどう役立つのか」を説明しています。
*5
こういったコーチングをマンガに取り入れることはけっこう珍しいのではないかと思われますが、実際のところコーチングという観点からすると非常に理にかなっています。
2008年、埼玉西武ライオンズを日本一に導いた渡辺久信監督の『寛容力』という本にはこう書かれています。
今の選手たちは、僕らのような時代には生きていません。ですから、指導している際にいきなり頭ごなしにいわれてしまうと、それだけでもう拒否反応を示してしまう。それが続くと、だんだん選手からコーチのほうに近づいてこなくなる。そんな光景が展開されてしまうのです。
そういうわけで、指導の際にはとにかく「言い方」が重要になってきます。
守備練習の際に良くないところを指摘したり、注意をするにも、昔のように
「おまえ、何をふにゃふにゃいっているんだ。そんなんじゃエラーするぞ」
とか、
「ヘタクソだな。手本を見せてやるからグラブを貸してみろ」
などと言うのではなく、
「そのやり方だとこういう理由でエラーをする確率が高くなるから、こうしたらどうだ」
とか、
「僕が現役時代でプレーしたときはこういうふうにやっていたんだ。ちょっとグラブを貸してくれ。やってみせるから」
というように。言い方次第で、選手たちがそのアドバイスを素直に受け入れられるかどうかが決まってくるのです。(P23,24)
●渡辺久信『寛容力』講談社 - 三軒茶屋 別館
もちろん『バクマン。』はスポーツマンガではありませんが、「コーチング」という面では上記の精神に共通するものが見られます。
概要だけ抜き出すとこの巻はいわゆる「レベルアップ」を描いているのですが、それを描く手法は非常に「現代的」だと考えています。
服部という「編集者」
これは編集に限らずですが、「コーチ」の役割として主に2つあると思います。
1.スキルの向上
2.モチベーションの維持
言うなれば、2軍の選手を1軍に上げること、1軍で調子を保つことの2つをこなさなければなりません。
この巻における服部の役割は1ですが、彼がとった手法は「褒めて伸ばす」「理由を明確にして教える」という、いわゆるビジネスの場面でも通用するやり方です。
世代論に落とし込むことは非常に危険であることを踏まえて、あえて引用しますが、日経AssocieOnline連載の「ゆとり世代との付き合い方」「ゆとり世代・その後」にも同様のコーチング方法が語られています。
バブル崩壊後、企業は新人の採用を抑えていました。就職氷河期と呼ばれる時期に入社した世代は、いつまでも後輩ができずに30歳を過ぎても組織の中ではいまだに「若手」という人も珍しくありません。
となりで後輩が指導されている様子を見る機会を持たないまま、ある日突然、新人の育成担当者に抜擢されることがあるのです。時間がたてば入社当時につまずいたことや、悩んでいたことの記憶は徐々に遠のいていくものです。育成の経験がないゆえに自分が当たり前にできることは、簡単なことだという錯覚に陥ります。
その結果、いざ自分が指導する立場になった時に、「簡単なことなんだから自分で考えさせることが重要だ」と、はじめから新人に考えさせることを強要してしまうケースが出てきます。
(ゆとり世代・その後「後輩がいない育成担当者が間違えやすい指導方法」日経AssocieOnlineより)
「黙ってやればわかる」という一昔前の体育会系的な教え方ではなく、相手の目線に立ち、理論を説明しながらコーチングを行う。しかも、最後には社内の審査を通すためのネゴや準備を怠らない。
この巻で、二人の作品『疑探偵TRAP』は金未来杯の好成績をひっさげついに連載を獲得しますが、彼らのデビューは服部編集者の力添えなしには達成できなかったかと思います。服部というキャラは、理想とする編集者であり、「コーチ」であり、また「上司」なのだと思います。
*6
連載獲得は「ゴール」でなく「スタート」
ついに連載を獲得したサイコー・シュージンの二人。
野球マンガであれば甲子園で優勝して連載終了!であり、ラブコメであればヒロインとくっついてハッピーエンド!みたいな場面ですが、しかしながら、『バクマン。』担当編集である相田聡一は、かつてインタビューでこう答えていました。
大場先生の感覚として、主人公が漫画家にならなきゃ面白くないだろう、と。「漫画家になりたい少年」の話を描きたかったのではなくて、あくまでも「漫画家」を描きたかったと思うんですよ。
(QuinckJapan2008年12月号P56、担当編集相田聡一インタビューより)
実際にはここからが「本当の戦い」なわけで、漫画家に「成る」ことよりも漫画家で「在り続ける」ことのほうが遙かに大変だと思います。
今までは「漫画家に成る」ための戦いを描いていきましたが、これからは「漫画家で在る」ための戦いに主戦場を移していくことになります。
「週刊少年ジャンプ」という戦場で二人はどのように戦っていくのか?
新たなステージに入る5巻もまた、要注目です。
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●『バクマン。』が描く現代の「天才」 『バクマン。』3巻書評
●編集者という「コーチ」と、現代の「コーチング」 『バクマン。』4巻書評
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