『シャングリ・ラ』(池上永一/角川文庫)

シャングリ・ラ 上 (角川文庫)

シャングリ・ラ 上 (角川文庫)

シャングリ・ラ 下 (角川文庫)

シャングリ・ラ 下 (角川文庫)

 近未来を舞台とした経済SF小説ですが、ファンタジーの要素もあればアクションの要素もあり多彩な魅力を持った作品です。
 CO2を削減するために炭素経済へと移行した世界。ますます加速する地球温暖化を阻止するため超高層建造物アトラスに都市機能を移して地上を森林化する東京。しかしそれは炭素を急速に吸収削減することで利益を生み出す一方で、森林化はもはや密林化と呼ぶべき事態にまで発展する。東京には難民が大量発生し政府に対する不満が吹き出していた。少年院から出所した反政府ゲリラの総統・北条國子は政府に宣戦布告する……といったお話です。
 本書の大まかな印象としては、しっかりした土台の上で滅茶苦茶やっているといった感じです。しっかりした土台とは、作中で採用されている炭素本位制に基づく経済システムです。欲望が作り出す人間界の法則と自然界の法則。両者に折り合いを付けるためのシステムとして考え出されたのが炭素経済です。すなわち、生産過程で生じた炭素と処分段階で放出される炭素をコストと捉え工業製品のすべてに炭素税を課税することによって、先進国と発展途上国との区別なく世界の全ての国々が参加する地球型経済。新しい循環系の構造。それが炭素経済です。
 こうしたアイデアは決して荒唐無稽なものではありません。炭素税(参考:炭素税 - Wikipedia)はすでに一部の国では導入されていますし、石油価格の高騰や地球温暖化に伴うゲリラ豪雨といった現象はすでに現実のものとなっています。そこから一歩思考を進めれば、将来のあり方のひとつとして、こうした炭素経済といったシステムが生まれたとしてもさほど不思議なことではないでしょう。
 物語はこのような炭素経済のシステムを背景に、北条國子という一人の少女を軸に局所大所に様々な騒動が発生します。ただ、こうした炭素経済の仕組みと発展過程が、物語の終盤(具体的には下巻p329以下)になってから説明されるのが読者としては少々もどかしいです。アトラス計画の真の目的とは? というサスペンスで読者を引っ張りたかったのは分かるのですが、それはそれとして炭素経済システム自体は物語の最初の段階で説明して欲しかったです。
 そうした炭素本位制を背景に主人公である北条國子はゲリラ活動を指揮し、ついにはアトラスに宣戦布告して乗り込むことになるのですが、その戦闘描写はハチャメチャです。死ぬ人間は簡単に死ぬ一方で、死なない人間は何があっても死にません。ブーメランで戦車や戦闘ヘリをつぎつぎと撃破するのなんて当たり前といったそこらのライトノベルも真っ青のバトルが展開されますが、そこには理屈などろくにありやしません。まあそれは別に構わないのですが(苦笑)、本書において人はまったく平等ではありません。貧富の差とか身分の差とかいろいろありますが、とにかく平等ではありません。下ネタと血肉が飛び交う猥雑で滅茶苦茶で自己の思いにどこまでも忠実な登場人物たちのデタラメな行動が、やがては土台そのものをぶち壊していきます。
 本書は近未来の世界を描き出し人類は前へ進むしかないと謳いながらも、それでいて過去への回帰を思わせる箇所が多々あります。理屈で回収し切れない呪術的オカルト的要素を混ぜ込んでいるのもそうですし、民主主義という近代国家の大原則をことさらに無視しているのもそうです。そもそも主人公の武器がブーメランなのもそうしたことの象徴である、とかいってしまうと書評っぽいですか(笑)。それはともかく、決して定まることのない価値観の変容は作中の黒幕の狙いどおりの展開ではありますが、そうした中にあってどのように自らの価値観を定めていくべきなのか。筒井康隆が解説しているように、本書は様々に侵犯と越境を繰り返しています。そんな作品だからこそ真になしうる問い掛けなのではないかと思います。