『モーフィー時計の午前零時』(若島正・編/国書刊行会)

モーフィー時計の午前零時

モーフィー時計の午前零時

 本書は、本邦初のチェス小説*1のアンソロジーです。
 いきなりですが将棋の話です。1997年8月26日、それまでの将棋の定跡を覆す戦法が現れました。それが8五飛車戦法*2です。これまで指されることのなかった△8五飛という一手の着想から、膨大な定跡の可能性に溢れた世界を切り開かれ、そこから次々と目を見張るような手順が発表されて、タイトル戦にも当然の如く登場するようになりました。今でこそ後手番における裏芸みたいな扱いを受けている戦法ではありますが、手順の面白さに高勝率まで付いてきたこともあり、一時は居飛車の後手番といったら8五飛という時代すらありました。
 本書に収録されている作品はSF、ファンタジー、ユーモア、ノンフィクションといったバリエーションに富んでいますが、基本的には、ミステリ形式のものが多いのです。それというのも、ひとつの着想(インスピレーション)からたくさんの手順(コンビネーション)が生まれるという思考パターンに両者には共通のものがあるからでしょう。あるいは、無限に拡がっている盤上の可能性の中から勝利をつかむ一手、あるいはドローをつかみとる一手を選択する思考と、幾多の仮説の中から真実を導き出さなければならないミステリにおける推理の思考とに親和性があるからだと思います。
 また、冒頭にはチェスを題材とした長編小説『猫を抱いて像と泳ぐ』を書いた小川洋子の『チェスという名の芸術』という序文が付されています。チェスを指せないのにチェスの小説を書いた小川洋子が、チェスの芸術性という観点から本書の楽しみ方を語ってくれています。実際、本書に収録されている作品は、チェスを題材にした小説というよりは、チェスに取り憑かれた人々にまつわる小説集という意味合いの方が強いです。なので、チェスについてあまり詳しくないという方にも読まず嫌いせずにぜひ読んでいただきたいです*3
 ちなみに、私的ベスト3をあげるとすれば、『毒を盛られたポーン』『マスター・ヤコブソン』『去年の冬、マイアミで』(順不同)ですが、『ユニコーン・ヴァリエーション』も捨て難いです。
 以下、各短編ごとの雑感を。

モーフィー時計の午前零時(フリッツ・ライバー若島正・訳)

 カスパロフがチェスの哲学を語った本として『決定力を鍛える』(NHK出版)という本があります。その本ではチェス史に残る名棋士についてのカスパロフの解説もついているのですが、ポール・モーフィーについてはミハイル・ボドヴィニクによる次のような言葉が紹介されています。

「今日にいたっても、モーフィーはオープンゲーム*4の最高の名手である。彼の影響力がいかに大きかったかは、モーフィー以後、根本的に新しいものがこの分野ではまるで生み出されていないことが明らかだ。初心者から天才まで、すべてのプレーヤーは実戦中に何度もこのアメリカの天才のゲームに立ち返るべきである」
――ミハイル・ボドヴィニク
(『決定力を鍛える』p81〜82より)

 モーフィーこそまさに現代チェスの始まり、すなわち午前零時なのです。

みんなで抗議を!(ジャック・リッチー/谷崎由依・訳)

 ミステリではときに麻雀やカードなどのゲームをしながら事件について推理を語り合うというシーンがありますが、チェスを始めとしたゲームには思考をすり合わせるための共通言語的な側面があるのでしょうね。

毒を盛られたポーン(ヘンリイ・スレッサー/秋津知子・訳)

 通信チェスという対戦方法を巧みに利用した操りの妙が鮮やかなスレッサーらしい逸品です。

シャム猫フレドリック・ブラウン谷崎由依・訳)

 巻末の若島正の解説にもあるとおり、あまりチェス小説らしくない作品ではありますが、チェス小説のアンソロジー作品としては有名なのだそうです。ひねくれたプロットから生み出される意外な結末は、ミステリ読みの方には普通にオススメです。

素晴らしき真鍮自動チェス機械(ジーン・ウルフ柳下毅一郎・訳)

 題材となっているのは「トルコ人形」の名で知られるチェスを指す自動機械です。それを、機械文明が一度滅んだ後の世界を舞台としたSFとして描き直したのがジーン・ウルフらしい着想だと思います。

ユニコーン・ヴァリエーション(ロジャー・ゼラズニイ若島正・訳)

 人類の種としての命運を賭けた超自然的存在同士の対局が、一人の人間を介した通信チェス的な形式で行なわれるというファンタジーな設定も面白いですが、個人的には最後のオチがとても好きです。

必殺の新戦法(ヴィクター・コントスキー/若島正・訳)

 好形というのは確かにあって、それを目指す手はだいたい好手とされます。その反対に愚形というのも当然あります。もちろん愚形には愚形としての理由があるのですが、そうした手順を見たときに覚える違和感を通り越した気持ち悪さというのも分かります。あくまで感覚的な話ですけどね。

ゴセッジ=ヴァーデビディアン往復書簡(ウディ・アレン伊藤典夫・訳)

 ときに大の大人であっても大人気なくなってしまうのがゲームというものですよね(笑)。

TDF チェス世界チャンピオン戦(ジュリアン・バーンズ渡辺佐智江・訳)

 1993年に行なわれたガルリ・カスパロフ対ナイジェル・ショートの世界選手権を題材とした観戦記です。
 将棋の場合にも観戦記というのはあります。新聞には大抵掲載されていますし、他にも専門誌などでも観戦記はもちろん載っています。観戦記は将棋の内容の解説を目的としています。第21期竜王戦では梅田望夫が「指さない将棋ファン」という観点から将棋の魅力を表現することを目的とした観戦記を発表して話題になりましたが、このような場合でも、その対局で指されていた将棋の解説であることには間違いありません。
【参考】竜王戦中継plus: 第21期 梅田望夫氏、竜王戦第1局を語る
 ところが本観戦記の場合には、実際に指されたチェスと完全に無縁とまではいいませんが、しかし、実際に指された手順どころかチェスのことなどまったく分からなくても読めてしまうのです。棋風と人間性と勝負との関係性(あるいは無関係性)がひとつの読み物として描かれています。しかも、自国の代表選手であるショートのことを言いたい放題なのです(笑)。お国柄というか文化の違いと言えばそれまでかもしれませんが、観戦記というものを考える上で興味深いエッセイであることはいえるでしょう。
 ちなみに、カスパロフ『決定力を鍛える』でも同選手権について触れられている箇所があります*5。本エッセイに比べますと非常に簡単な記述でまとめられています。その文章量の差が、1993年の世界選手権における両者の力量の差と選手権の意義を如実に表してしまっています。

マスター・ヤコブソン(ティム・クラッベ/原啓介・訳)

 チェスの普遍的な美しさが表現された傑作です。

去年の冬、マイアミで(ジェイムズ・カブラン/若島正・訳)

 冬という言葉から想像する寒さすらも温かく思えるくらいの怜悧な現実。エンドゲームを彷彿とさせる読後感は、チェス小説アンソロジーの最後を飾るに相応しいです。

プロブレム(ロード・ダンセイニ

 おまけ。分かりません(笑)。
【関連】『決定力を鍛える』(ガルリ・カスパロフ/NHK出版) - 三軒茶屋 別館

決定力を鍛える チェス世界王者に学ぶ生き方の秘訣

決定力を鍛える チェス世界王者に学ぶ生き方の秘訣

*1:観戦記とプロブレム含む。

*2:従来なら8四まで引くところをその途中の8五に座ること、また、創始者である中座真の名前をとって”中座飛車”と呼ばれることもあります。

*3:私自身も将棋はともかくチェスのことなんてサッパリ分かりませんしね(笑)。

*4:開いたラインの多い打開可能な局面

*5:『決定力を鍛える』p44参照。