『戦場の画家』(アルトゥーロ・ペレス・レベルテ/集英社文庫)

戦場の画家 (集英社文庫)

戦場の画家 (集英社文庫)

 物事のつながりとは、絶妙で、不思議なものだ。絵、言葉、思い出、戦慄をよぶ惨禍。表面的には関連のなさそうなもの同士でも、互いに結びつくことがある。すると、世界のあらゆる混乱が、突然、秩序だったものに見えてくる。酒に酔いしれた愚鈍な神々の気まぐれ――これはなかなかうまい説明だ――慈悲のかけらもない偶然性の気まぐれで地上にまき散らされた混沌も、精確なプロポーションをそなえた全体になりかわる。その鍵になるのが、思いがけない映像であり、偶然口をついてでた言葉であり、感情や、ひとりの女といっしょに観た絵なのだ。
(本書p124より)

 ミステリとは構造を楽しむジャンルです。ミステリにおいては、とかくトリックや真犯人といった答え、いわゆるネタバレばかりに注意が向けられがちです。しかし、実際にはその謎がいかに示され、伏線がいかに張り巡らされ、そしていかなる真相が描かれているのかといった構造(プロット)にまで思いを及ぼすことができる段階になって、初めてひとつのミステリを”読んだ”ということがいえると思います。
 かつて戦争を撮り続けた元カメラマンが、写真では表現し切れなかった戦争風景を再現するために壁画を描いています。その画家の元を訪れた一人の男。男はかつて10年前の旧ユーゴ紛争において画家の被写体となり、それによって自らと家族の運命を狂わされました。男の目的は画家への復讐です。
 元カメラマンである画家フォルケスと、被写体となった男との間で交わされる戦争についての会話。戦争の現実を見続け、戦争の現実を体験した男たち。本書には戦争記者として世界の紛争地に実際に踏み入れた作者自身の体験が生かされていることは確かでしょう。しかしながら、本書は自伝小説ではありません。”戦場の画家”が写真では表現仕切れなかった風景を絵画によって再現しようとしているのと同じく、本書もまた記事によって表現し切れなかった戦争の風景を小説によって再現しようという試みのもとに描かれている作品なのです。

 一軒の家屋は、防空壕にもなれば、自分を死に導く罠にもなる。ひとつの川が、あるときは障害になり、あるときは防護になる。塹壕は、身を守ってくれると同時に、墓場にもなりうるのだ。
 現代の戦争は、そういう”領域”の幅と可能性を格段にひろげた。技術や可動性が向上すればするほど、不確実性も高まったということだ。
(本書p97より)

 不確実性とは、この場合には無知とほぼ同義で用いられている言葉ですが、戦争という不確実な現実、その不確実性がさらに高まっている現実をひとつの絵画として表現するために戦場の画家が追い求めてきたものがあります。それが「構造」です。

 若いころに写真を撮りはじめたときから、フォルケスはいつも、ちがうものをさがしもとめてきた。たとえば、警告を発しうる点、すくなくともそれを直感できる点。もつれた糸のように絡み合う直線や曲線。チェス盤の市松模様。その盤上でコイルのようにつながる生と死。混沌とその形体。構造としての戦争。肉をそがれた骸骨にも似た、明白な、宇宙の巨大な矛盾の構造。
(本書p26より)

 淡々と語られる悲惨で冷酷で残虐な知性と狂気に彩られた戦争の現実。それらが戦場の画家が認識する構造によってつながれていき、一枚の絵として描かれていく過程には、たとえようのない緊張感が漂っています。カメラマンと被写体、殺人者と被害者という対称的な関係にある二人の男によって描かれる戦争の構造。様々な事柄が精緻な計算に基づいて描かれていて、それらを様々な線で結び付けることができるからこそ、物語の最後で明かされる真実の残酷さが際立ってきます。
 そうした抽象的な面白さを抜きにしても、本書には、戦場において殺す者・殺される者を目の前にしてシャッターを押す行為の意義についての極めて興味深い思索がふんだんに盛り込まれています。撮影者と被写体の関係。ひいては現実とフィクションの関係。知と感情の先にあるべきものを指し示す作品として、これ以上のものには滅多にお目にかかれないのではないかと思うくらいの傑作です。
 本書をミステリとして紹介するのは躊躇せざるを得ませんが、それでも、ミステリを読むのが好きな方には強くオススメの一冊です。