『ルルージュ事件』(エミール・ガボリオ/国書刊行会)

ルルージュ事件

ルルージュ事件

 ミステリの創始者として知られるエドガー・アラン・ポーは、1841年に世界初のミステリとして知られる『モルグ街の殺人』を発表しました。以降、『マリー・ロジェの秘密』や『盗まれた手紙』といったミステリを次々と発表していきました。ただ、それらはいずれも短編小説という形式でした。
 では、現在では主流となっている長編小説*1の形式で書かれた最初のミステリは何でしょうか? それこそがまさに本書の売りです。フランスにおいて1866年に新聞紙内の連載小説形式で発表された初のミステリ長編小説。それが本書、エミール・ガボリオ『ルルージュ事件』です。
 もっとも、長編小説としてどのように字数を稼いでいるのかといえば、事件関係者の背景の説明や、事件によって困難な立場に立たされたその心理の描写などに人間ドラマに重点が置かれています。トリックの解明や、仮説の構築、濃密な論証といったミステリならではの面白さを突き詰めることで紙数が占められているわけではありません。その意味で、世界初の長編ミステリという触れ込みを過度に信用してしまうのは禁物です。とはいえ、証拠から犯人を特定していく演繹的思考も採用されていますし、看板に偽りがあるわけでは断じてありません。学究的な読み方が好きなミステリ読みにとっては必読書といわなければならない一品でしょう。
 本書では、素人探偵のタバレと、予審判事のダビュロンが事件の解明に大きな役割を果たしています。このうち、人物紹介で探偵と銘打たれているタバレ*2が実際に作中で果たしている役割を考えますと、なかなかどうして昔のものとは思えない皮肉なプロットが練りこまれています。
 タバレよりも事件の解決に重要な役割を果たしているのが予審判事のダビュロンです。判事、つまりは裁判官であるダビュロンが、本書では捜査に積極的に関与して、苦悩し、事件の解明に寄与しています。現在の日本の裁判では、裁判官は検察官と被告人の間の審判とでもいうべき中立的な立場から真実を判断することが求められています。そうした現代の常識と比較しますと、ダビュロンがとっている行動は一見すると奇異に移るかもしれません。しかし、これも時代の制約・お国柄というものです。また、刑事訴訟法の沿革的な立場で見れば、本書には糾問的捜査観から弾劾的捜査観への移行という訴訟法上の思想の変遷を読み取ることができるでしょう(糾問主義・弾劾主義 - Wikipedia)。

 著名な警察関係者の回想録というのはよくできた物語のようで、興味の尽きないものです。これらの回想録を読んで、わたしはその著者たちに夢中になりました。絹よりも繊細で、鋼のようにしなやかな、とても鼻のきく人たち。洞察力に富み、権謀術数を厭わず、しばしば意表をつく手段を講じて、法律書を片手に法の支配する藪のなかで犯罪者を追跡するのです。
(本書p44より)

 上記引用は作中でのタバレの台詞ですが、訳者の解説でも触れられているように、警察関係者の回想録が本書の着想のひとつであることは間違いないと思います。そうして描かれた物語が、司法のあり方に疑問を呈しているのもまた興味深いです。現代国家の多くが採用している権力分立のシステムですが、フランスにおいては歴史的に裁判所が権利侵害の象徴とされてきたことから、司法への不信=立法権優位の権力分立構造が採用されています(権力分立 - Wikipedia)。本書でダビュロンが味わうことになる後悔にも、フランスの国家構造・法思想というものが反映されているといえるでしょう*3
 ミステリという一ジャンルの文学史のみならず、フランスにおける刑事訴訟法の沿革という意味でも興味を引く一冊として、物好きな方向けにオススメしておきます(笑)。
【参考】ルルージュ事件/エミール・ガボリオ(国書刊行会) - ミステリ読みのミステリ知らず

*1:もっとも、短編と長編の厳密な区分は難しいでしょうが…。

*2:後にガボリオの作品で活躍するルコックが尊敬している人物。なお、ルコックは本書でもほんの脇役ですが登場しています。

*3:余談ですが、かつて創元推理文庫についていたジャンル分けのマークが「法廷物、倒叙」で一括りにされていたのは非常に示唆に富んでると思います。