『完全なる沈黙』(ロバート・ローテンバーグ/ハヤカワ文庫)

完全なる沈黙(ハヤカワ・ミステリ文庫)

完全なる沈黙(ハヤカワ・ミステリ文庫)

 検察官にとって悪夢以外の何ものでもない――フェルナンデスは三枚のカードをもう一度読みながら思った。いつもはしっかりした手許がかすかに震えた――罪を犯していない人間を有罪にするなんて。
(本書p112より)

 「彼女を死なせた。死なせてしまった」。両手を血に塗らした被疑者はその言葉を最後に沈黙を貫く。一見単純に見える事件ではあるが、被疑者は警官や検察官のみならず弁護士にも沈黙で応じる。真実はいったい?事件関係者、警官、検察官、弁護士といった人物たちのさまざまな視点から描かれる法廷群像劇。それが本書です。
 本書は三人称多元描写で語られますが、肝心の容疑者の視点から語られることはありません。こうした形式の物語としては何といっても大岡昇平『事件』が有名かと思われます。あるいは、被害者が完全な沈黙を守っているなか、検察や弁護士が動機を始めとする真相を追い求めて奔走するというストーリーから横山秀夫の『半落ち*1を想起される方も多いかと思われます。そうした方面に興味のある方であれば本書は鉄板でしょう。
 本書の舞台はカナダです。なので、例えばカナダの警官には警察法によってメモを取ることが義務付けられている(本書p389以下参照)といった独特の法制度に多少の戸惑いはありましたが、端的にいってしまえば陪審制の裁判ですし法廷ミステリを読みなれている方であればまったく問題ないでしょう。
 日本における刑事事件の被疑者の自白率は海外のそれと比べて高いといわれています。そうした点についてカナダではどうなのかは私には分かりませんが、しかし文字通りの沈黙――事件に関係することのみならず、それ以外の事柄についても沈黙を守り、弁護士に対しても筆談によって意思の疎通を図る――を守る被疑者の態度は謎といってよいでしょう。被疑者がそうまでして沈黙を守る理由はいったい何なのか?そこには単なる黙秘権にとどまらない理由が隠されています。
 本書には警察官の他にも検察官、弁護士、判事(裁判官のこと)といった法曹関係者が多数登場しますが、彼らが裁判において担う役割が過剰に一面的にならないような配慮がなされています。弁護士出身の警官や判事がいたり検察官出身の弁護士がいたりと、それぞれの役割に他の役割を理解する人物が配置されています。こうした配役には、検察・弁護士・判事の三者には協同して取り組まなくてはならない使命がある、という作者の主張が込められているといってよいでしょう。特に検察官と弁護士は相対する立場にありますが、しかしながら、互いにルールを守り最善を尽くせば、両者の読み筋は自然と一致して同じ方向を向いていきます。そのとき守られるべきルールとは何なのか?それが本書のテーマのひとつです。
 法廷ミステリとして法的手続きを踏まえながら事件を丹念に描いているため、正直いってドラマ性には欠けます。それでいて最後に明らかになる真相は大岡昇平の『事件』などと比べればストイックさに欠けるので*2、個人的な好みからすれば中途半端という気もしないでもないですが、それでも、法廷というものをこのレベルで真摯に描いてくれている作品には早々お目にかかれるものではないでしょう。
 巻末の訳者あとがきによれば作者は現役の弁護士ですが、ロースクールを卒業して弁護士の資格を得たものの直後にフランスにわたって2年間英語雑誌の編集に携わり、帰国後8年間は自ら雑誌を編集・発行。その後映画会社やラジオ局での仕事を経て37歳になって弁護士として開業。それからさらに18年の歳月を経て刊行されたのが本書とのことです。こうした作者の経歴も、本書の法廷ミステリとしての内容を、主に法律面について保証してくれているといえるでしょう。法廷ミステリ好きにはオススメの一冊です。

*1:アルツハイマーの妻を殺害した経緯や動機については完全に自白したものの、事件発生から出頭までの「空白の二日間」について沈黙を貫くため、完全な自白(完落ち)ではない自白、つまりは半落ちで、そこが物語の焦点となります。

*2:サスペンス性を付与することで読者への配慮がなされている、という見方も無論できますが。まあこの辺りは好みとしかいいようがないと思います。