『探偵小説の社会学』で遊んでみる。

探偵小説の社会学 (岩波人文書セレクション)

探偵小説の社会学 (岩波人文書セレクション)

 ”一九世紀から今日までの探偵小説を通じて、探偵小説を消費する精神の土壌を分析し、その言語の有する問題性にまで迫る。”(本書カバー折り返しより)というコンセプトの『探偵小説の社会学』(内田隆三/岩波人文セレクション)*1ですが、これががなかなか面白かったので、私なりに少し遊んでみたいと思います。

そのいち

 本書序文にて”振り返ってみれば、本書のような探求に関心をもったのは、英国のミステリーにおいて「凄惨な殺人事件」がしばしば「のどかな田園」を舞台に起こっているという指摘に出会ってからのことだろう。”とありますが、まさにそうした点をが指摘しつつ実在の事件を元にカントリーハウス・ミステリに仕上げたのが『最初の刑事 ウィッチャー警部とロード・ヒル・ハウス殺人事件』(ケイト・サマースケイル/早川書房)です。また、本書では”「犯罪報道」の言説は、犯罪小説や、犯罪者の一代記、刑事の回顧録のような言説と隣接し、ある意味でオーヴァーラップしている。”(本書p11より)として、犯罪報道と犯罪小説の共通点と相違点について述べられています。そうした点について考える上でも『最初の刑事〜』はオススメです。併せて読みたい一冊です。
【関連】『最初の刑事 ウィッチャー警部とロード・ヒル・ハウス殺人事件』(ケイト・サマースケイル/早川書房) - 三軒茶屋 別館

最初の刑事: ウィッチャー警部とロード・ヒル・ハウス殺人事件

最初の刑事: ウィッチャー警部とロード・ヒル・ハウス殺人事件

そのに

 本書では、日本での探偵小説の起源について、”日本の探偵小説の起源は一つではなく、無数の、しかも翻案・翻訳小説であり、模造品の群れであったというのが正確だろう。”(本書p20より)とされています。が、一応の取っ掛かりとして黒岩涙香『無残』(【関連】無残 - 青空文庫)が紹介されています。もっとも、この作品についても、”ポーの古典的探偵小説『モルグ街の殺人』を模倣したような習作になっている。”(本書p13より)と評されてはいるのですが、それでも、物語の形式・人物設定・探偵の推理といった点などから”十九世紀欧米の探偵小説に比べて見劣りのない水準に達している。”(本書p6より)とされています。
 『無残』では、「探偵」という存在について次のように述べられています。

刑事巡査、下世話(げせわ)に謂う探偵、世に是ほど忌(いま)わしき職務は無く又之れほど立派なる職務は無し(中略)立派と云う所を云えば斯くまで人に憎まるゝを厭わず悪人を看破(みやぶ)りて其種を尽し以て世の人の安きを計る所謂(いわゆる)身を殺して仁を為す者、是ほど立派なる者あらんや
(『無残』より)

 「探偵」という存在の負の側面と正の側面について述べられているわけですが、「人に憎まゝを厭わず」と「世の人の安きを計る」の間で揺れる探偵の心の動きとか、そもそも「世の人の安き」などというものを探偵自身に決めることなどできるのか、といった「探偵」することの意義について踏み込んでいる作品として今ぱっと思いつくのが『子ひつじは迷わない』(玩具堂角川スニーカー文庫)シリーズなのが少しおかしいと思ったり。
【関連】『子ひつじは迷わない 走るひつじが1ぴき』(玩具堂/角川スニーカー文庫) - 三軒茶屋 別館

そのさん

 「第2章 緋色の研究」では深さのゲームということが語られます。犯人は世界の深さに身を隠しているからこそ探偵は深さを探求する、というわけですが、併せて、それ自体を逆手に取った古典的ミステリも紹介されています。それが「盗まれた手紙」なわけですが、こうした”深さ”ゲームについての考察は、陰謀論とかハンロンの剃刀(ハンロンの剃刀 - Wikipedia)とかステルスマーケティングステルスマーケティング - Wikipedia)なんかを考える上で頭に置いておきたいことだと思います。

こういうわけで、あまり考えが深すぎるということがあるものだ。真理は必ずしも井戸のなかにはない。事実、重要なほうの知識となると、それはいつも表面(うわべ)にあるものだと僕は信じる。深さは、真理を探し求める渓谷にあるのであって、その真理が見出される山巓(さんてん)にあるのではない。こういった誤謬の典型は、天体を観察するときのことでよくわかる。星をちらりと見ることが――網膜の外側を(そこは内側よりも弱い光線を感じやすいのだ)星の方へ向けて横目で見ることが、星をはっきり見ることになる、――星の輝きがいちばんよくわかるのだ。
『モルグ街の殺人』(モルグ街の殺人 - 青空文庫)より

そのよん

 多くの探偵小説は「過去の再帰」を伴います。観察されたデータを「物語として配列」*2する作業。現在の時間と過去の時間という二つの時間の流れ。それが探偵小説の特徴です。そうした探偵小説の構造について、本書では精神分析歴史学の考え方が引き合いに出されながら考察されています。
 こうした「過去の再帰」という問題について、個人的にすごく思い当たる節があります。それは最近の海外ミステリ、特にアメリカのミステリがそうなのですが、過去に起きた事件が現在になって再び問題となる、というケースがとても多いのです。ミステリである以上、物語の始めに起きた事件の謎を解決するのは当然ですが、それだけでなく、物語が始まる以前から起きていた事件の謎も含めて問題として浮かび上がってくる、というパターンの物語がとても多いのです。ソースは私の読書ライフなので客観的証明力はゼロですが(笑)、それでも、『ブラッド・ブラザー』(ジャック・カーリイ/文春文庫)『夜は終わらない』(ジョージ・ペレケーノス/ハヤカワ・ポケット・ミステリ)『二流小説家』(デイヴィッド・ゴードン/ハヤカワ・ポケット・ミステリ)『夜を希う』(マイクル・コリータ/創元推理文庫)『ねじれた文字、ねじれた路』(トム・フランクリン/ハヤカワ・ポケット・ミステリ)などなど。これだけ続くと何かあるのだろうと思わざるを得なくて、それがおそらくは9・11なのだと思います。
 こんなことをいろいろと考えたりしました。

*1:もともとは2001年に岩波書店より刊行。

*2:元文献は『神話・寓意・徴候』(ギンズブルグ/せりか書房)とのことです。