『美しき凶器』(東野圭吾/光文社文庫)

美しき凶器 (光文社文庫)

美しき凶器 (光文社文庫)

 歌野晶午の某長編を読んだときに本書の存在を知ったので読んでみました。詳細については控えさせていただきますが、”ママさん選手”という言葉を聞くと微妙な気分になってしまう作品、とだけ言っておきます(苦笑)。
 本題に入りますが、本書の内容は、

 当時、僕が好きな陸上の選手に、ジャッキー・ジョイナー・カーシーという女性選手がいたんですよ。全身がばねのような身体をしていて、迫力があるんですよ。その選手がターミネーターみたいに人を殺したらさぞかし怖いだろうなと、その思いつきだけで書きました。
(『野性時代』2006年2月号「東野圭吾が語る全作品解説」p44より)

と作者が述べているとおり、まさにターミネーターを彷彿とさせる2時間もののサスペンスドラマです。
 『美しき凶器』という全くセンスが感じられないタイトルは、殺人鬼である女性アスリートの肉体を指しています。しかしそれはやがて”凶器”から”狂気”へと変貌していきます。
 ドーピングを禁止するのは難しい問題です。ドーピングに当たる禁止薬物を特定し検査方法を確立しても、その裏をかく薬物の開発といった技術面でのイタチゴッコの難しさというのはあります。しかし、それよりも、結果や記録が求められるアスリートの世界において、本人がリスクを承知の上で行なわれているドーピングというものを禁止して処罰することの意義を見い出し、言葉にすることの方が難しいと思います。「健全なる精神は健全なる肉体に宿る(ユウェナリス - Wikipedia)」という詩の一節がありますけれど、この詩の本来の意味を考えることが、ドーピングの問題を考える上では大事ではないかと思いました。
 本書で感得できるのはあくまでもサスペンスの面白さです。”凶器”という言葉からミステリっぽい印象を受けて読んでしまうと肩透かしの感は否めないかもしれません。ただ、殺人鬼が抱えている事情が、単にその超人性の原因としてではなく、結末においてきちんと意味が用意されている辺りに技巧的な冴えを感じることはできます。なので、ミステリ読みが読んでもまったくの無駄ということもないでしょうから、そこそこオススメしておきます。