『浜村渚の計算ノート』(青柳碧人/講談社文庫)

浜村渚の計算ノート (講談社文庫)

浜村渚の計算ノート (講談社文庫)

先生、生きてて何になるんですか?
★それを知るために生きています。何にもならないことを認識するのが学問かもしれない。数学は数学の中で足りているわけで、何の役に立つのかと問うことは大切だが、役に立たないことで、自身や学問を否定することは人間の存在を否定することに等しい。
『臨機応答・変問自在』(森博嗣/集英社新書)p104より

 少年犯罪の急増を理由に刷新された学習指導要綱。道徳や読書・芸術などの「心を伸ばす教科」が比重を大きくする一方、理系科目はバッサリと削減された。そんな新しい教育が導入されて1年後。日本を代表する数学の権威・高木源一郎が日本を震撼させるテロ声明がなされた。それは、彼が手掛けた全国の学校で用いられている数学教育ソフトを見た者には予備催眠が施されており、そのソフトで数学を学んだ者は彼の命令次第で殺人の加害者にも被害者にもなり得る、というものであった。彼の要求はただひとつ。数学の地位を向上させること。テロ組織「黒い三角定規」は数学の地位を向上するための殺人・破壊工作を開始する。そんな数学テロに対抗するために、警視庁がソフトを使ったことがない若者の中から協力を頼んだのが女子中学生・浜村渚だった……というお話です。
 荒唐無稽な設定ではありますが、「理系離れ」が叫ばれて久しい日本の理系教育の現状を鑑みますと笑ってばかりもいられないでしょう。
 「ぬり絵をやめさせる」では四色問題「悪魔との約束」では悪魔の数字0(ゼロ)、「ちごうた計算」ではフィボナッチ数列「『πレーツ・オブ・サガミワン』」では円周率と、様々な数学的問題が絡んだ殺人事件が発生しては、浜村渚を中心とする警察が数学の問題と事件の解決に挑むことになります。本書の面白いところは、巻末の竹内薫のネタバレ解説「現実と虚構の壁をぶち壊せ!」でも触れられていますが、数学の問題を扱っておきながら事件の解決においては別事件に昇華されたオチが用意されている点にあります。この趣向によって、本書は単なる数学薀蓄本でもナゾナゾ本でもな数学ミステリとして成り立っているのだといえます。
 四色問題が登場するミステリといえば『容疑者Xの献身』(東野圭吾/文春文庫)ですが、その作中にこんな会話があります。

「難しくはありません。ただ、思い込みによる盲点をついているだけです」

「盲点、ですか」

「たとえば幾何の問題に見せかけて、じつは関数の問題であるとか」
(『容疑者Xの献身』p272より)

 盲点、というわけでもないですが、数学の問題と事件解決との考え方がリンクしているようで微妙にずれているところが本書の面白さです。数学ものとしてもミステリとしても”軽め”ですが、その2つの読み味が重なることで立派な読み応えのある作品に仕上がっています。
 第4話にて、「こんなの何の役に立つ?」という問いがなされます。学生の視点から理系離れの本音を端的に表現した言葉です。もちろん数学の多くの定理や証明は何らかの役に立っているのでしょう。おそらく私が知っているようなものは大半が何らかの役に立っているはずです。ですが、進めば進む程、そこで行われていることは実用的な意味では役に立たなくなっていきます。「こんなの勉強して将来何の役に立つの?」という問いは、実は「私は社会に出て何の役に立つの?」という問いにつながってくるのだと思います。馬鹿馬鹿しいお話ながらもそうしたほろ苦さを感じつつ、数学の魅力や面白さを分かりやすく感得することができるお話です。